ふるさとだより


「許しおおす」とは?

修養団・元伊勢道場長中山靖雄氏の『すべては今のためにあったこと』を読んで、中山氏の魂の深さに感銘を覚えました。

本の中で“許しおおす”ということを説明する下りで、次のようにあったので紹介します。「すべてを受け入れることは本当に難しいことです。しかし、命の理由を学びきったならば、きっと許しおおすことができます。」とあり、次に続きます。

≪どんなご縁であっても、自分の為にその出来事に出会わせてもらっています。そのことを本当に納得し、「こういうご縁だったんだなあ」と心から思えた時に自分が解放されるのです。しかし、到底受け入れられない筆舌に尽くしがたい出来事が起きてしまった時も、本当にそんなふうに思えるのか。そのことを考えてみたいと思います。

私のところに勉強に来られていた高円寺さんというご夫婦がおられました。この高円寺さんの5歳の娘さんが突然交通事故に遭い、亡くなってしまったのです。その時、事故を起こした人が警察にいるということを聞いて、このご夫婦はその人に会いに行かれました。そしてどうされたかというと、このご夫婦はその事故を起こした方に向かって、土下座をしてお詫びをされたのです。「こういう縁にあわせてしまってごめんなさい。こういう縁にあう子どもを育てたのは私の因縁です。どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世の為人の為になって下さい。本当にごめんなさい。」このように謝られたのです。ご夫婦には、悲しみも、許しがたい思いも当然あったでしょうが、命が生まれてきた理由を本当に学びきっておられたのですね。

頭でわかっていても、実際にそんな目に遭った時に、本当にそう思えるかどうかということが難しいわけです。ご夫婦は普段からそのような生き方をしていたからこそ、その時にそういう思いが湧かされたのでしょう。

「許す」ということの大切さはみんな知っているかもしれません。しかし、「許すこと」「許しきること」さらに「許しおおすこと」は深さが違うのです。この「許しおおす」という世界は、このご夫婦のようなことをいうのかなと深く感じさせられました。≫

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