ふるさとだより


2014 年 3 月 31 日 月曜日

昨日の30日(日)、当保育園で行われました。当園では昨年に引き続き2回目の実施です。午前中、EMに対する基礎知識の講義を、午後は米のとぎ汁発酵液やEMボカシの作り方講習がありました。

1日講習でしたが、皆さん熱心に受講されていました。

それから本日は今年度最後の日。皆勤賞と精勤賞の授与がありました。22日の卒園式に年長児への授与は終えているので、今回の授与は年中児の4名でした。明日から26年度の開始です!本当に、Time  is  flyです。

2014 年 3 月 28 日 金曜日

昨年、私の母が80歳で白内障の手術をしました。祖母も同じ年の頃手術をした記憶があります。・・・が、最近私の知り合いでも60歳代で手術をするとか、したとかの話を聞きます。誰もが加齢とともに身体は酸化していきますが、目もしかりです。

抗酸化物質は、野菜や果物に多く含まれていますから、何でもバランスよく食べていればいいのだとおもいます。お肉中心の食事は酸化しやすいですからね。

目はどうしていますか?・・・私は、EM-Xゴールドを朝晩点眼しています。体液は5%の塩分を含んでいるそうなので、そこにEM蘇生海塩を添加して。もちろん、目に限らず、EM-Xゴールドは早朝ジョギングの前に飲用していますけどね・・・。若いうちは、こんな心配は無用なのですが、加齢とともに、心がけなくてはならないと思う、今日この頃です。

2014 年 3 月 27 日 木曜日

昨今、通り魔事件や誘拐、監禁といった不可解な事件の報道をよく目にします。
そのためでしょうか。親が子供を無菌室に置こうとする傾向がより顕著になってきているようです。
ところが、過剰すぎる保護は子供の発達不全を引き起こしかねません。
「可愛い子には旅をさせよ」という諺があるように、子供の成長、発達には苦労や冒険、リスクというものは不可欠なものです。
では、そのような葛藤の中で、いかにして子育てをしていけばよいのか。
35年にわたる教師生活で数々の少年問題を解決し、「生徒指導にこの人あり」と謳われる伝説の教師・占部賢志氏(中村学園大学教授)は、以下のように述べています。
 
“九州の鹿児島に「泣こよっか、ひっ翔べ」という方言があります。
泣いてぐずぐずするぐらいなら、思い切って前に翔び立て、という意味です。
この翔ぼうとする意欲と意思、その発動が何より大切なのです。
この肝心の点を育てずに、探検コースや野外活動などの企画を用意しても、それは冒険心と何の関係もありません。
冒険心は大人が子供を飼い慣らすものではないのです。
むしろ、そういう大人のお節介にきっぱりと決別し、徒手空拳で荒野に挑む。
それが冒険心です。
小学生にもなれば、その芽は必ずや兆すのです。
しかし、今の時代環境では昔に比べて冒険しようにも難しい。
たしかにそれも事実です。
ですから、すべてを用意してやるのではなく、切っ掛けだけは提供してやる必要もあるでしょう。
その最良の教育の一つと筆者が考えるのは、子供に「一人旅」をさせることです。
昔、イラストレーターの真鍋博氏が、この一人旅教育を実際に行い、江湖に提唱していたのを思い出します。
真鍋氏には2人の息子がいて、小学校5年の長男が自分の姓と同じ「真鍋島」というのが
瀬戸内海にあることを地図で見つけ、一人で訪ねるのです。
広島県の福山からは船で幾つかの島を経由し、およそ2時間で目的地の真鍋島に到着。
島にはユースホステルが一軒だけと知り、そこに宿泊することにします。
結局、島には2泊3日滞在して東京の自宅に帰ってきますが、腕いっぱいに抱えた島の野菊と、親しくなった人々から贈られた寄せ書きがおみやげだったといいます。
こうした息子の体験を通して真鍋氏は、一人旅の意義を説くのです。
当時は昭和40年代、もうあの頃から、幼稚園は親の送り迎えが条件となり、小学校では通学路が決められ、
集団での登下校をしなければならない。
まるでバスの運行ダイヤのような生活を強いられていたのです。
そこには道草を食う楽しみもなければ、一人になる時間もない。
ましてやドラマやハプニングが起きることもありません。
そんな退屈な世界から脱出する道、それが真鍋氏が提唱する一人旅なのです。
子供が一人旅に踏み切るには決断が欠かせません。
まさに「泣こよっか、ひっ翔べ」です。
かくて未知の世界へ旅立てば、勇気や知恵、慎重さや機転を利かせるなど、様々な能力をフル出動しなければなりません。
そこがいいのです。
そして何より、新たな出会いと別れを体験に刻むことが出来る。
そういう機会はほかにまずありません。
勿論、今の世の中ですから、安全については細心の注意を払ったうえで、平成の一人旅に挑ませてはいかがでしょう。”

2014 年 3 月 26 日 水曜日

人生で一番大切なものは何かと、ある経営者に尋ねたそうです。
「それはよくわからないが、こういう人は絶対に成功しないという条件はある」と答えられ、
次の四項目を挙げられたそうです。
一つは、言われたことしかしない人、
二つは、楽をして仕事をしようとする
 ──そういうことが可能だと思っている人、
三つは、続かないという性格を直さない人、
そして四つは、すぐに不貞腐れる人である。

省みて、深くうなずけるものがあるように思いませんか?

2014 年 3 月 25 日 火曜日

 鈴木秀子(文学博士)氏の貴重なメッセージがあったので紹介します。

“「大事なこと」とは何も特別なことではありません。
それは私たちがついつい見過ごしている日常の一コマです。
例えば、左手を怪我したとしましょう。
最初は「ああ、利き手の右手でなくてよかった」と思います。
しかし、紐を結わくにも包丁を使うにもファスナーを開けるにも右手だけでやろうとすると、とても不便です。
この時、左手の働きというものに気づくのです。
右手と左手がどちらも等しく大切であるように、世の中はすべて陰陽のバランスで成り立っています。
男女、雌雄、天地、表裏、明暗、凹凸。
これらが常にバランスを保っているからこそ社会は発展し、どちらかに傾いてしまうと秩序は崩れてしまいます。
死も同じです。愛する家族を失った時、誰もが深い悲しみに襲われます。
しかし一方で身近な人の死は、自分を支えてくれる家族の温かさ、葬儀に集まってともに涙を流してくれる周囲の優しさに触れ、
ともに悲しみを乗り越えようという結束力が高まる大切な機会となります。
いつまでも「こんな辛いことが起きなきゃよかった」という感情にばかり縛られていると、そういう隠れた大切な部分が見えなくなるのです。
人生はよいことばかりは起きません。
しかし悪いことばかりも起きません。
何か嫌なこと、辛い出来事に遭遇した時には、このように自分に問い掛けてみてください。
「この出来事が自分に何の益をもたらしてくれるだろうか。 この辛い体験から何を学べばよいのだろうか」

世の中に何の意味もなく起こることは一つとしてありません。
怪我をしてしまったのも「左手をもっと大切にしなさいよ」というメッセージだったのだろうか、と受け止めてみることが大切です。
このように起こる出来事に感謝して考えを切り替えることで大切な答えが見つかり、
いつの間にかバランスを取っている自分の姿に気づくはずです。
これが自立した人間の姿です。
自立というと精神的、経済的に独り立ちした姿をイメージします。
もちろんそれはとても大切なことですが、その根底には「相手のせいにしない」という原理原則があることを忘れないことです。
嫌なことがあって、つい誰か他人や環境のせいにしてしまうのは一種の心の自然反応です。
しかし、いつまでもそこに留まっていると中心軸から離れて次々にエネルギーが奪われていきます。
これとは反対に自立した人の周囲は常に安定して穏やかです。
穏やかな波動は、さらに穏やかな波動を呼び寄せます。
このような自立した人であって初めて「幸せ発信地」になれるのです。”  

このメッセージは、今の私の為にあるようにさえ思えます。

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