ふるさとだより


化粧には2つある

 

元京都大学総長の平澤興先生の講話を収録したCDを聴きましたが、素晴らしいお話でした。以下は講話集の中から心に響いた一部を紹介します。

《・・・・顔のことをいえば、自分の顔でありますが、同時にこれは社会に公開しておるものです。
顔だけは裸であります。
そういう意味では、顔は法律的には確かに自分のものです。
しかし影響から考えたならば、明るい顔が明るい社会を、暗い顔が暗い社会を呼ぶように、顔は同時に社会のものであります。
そういう意味で、化粧をしない素顔と多少化粧をした顔は目の慣れない人には違って見えますが、
いかように化粧をしても、慣れた人の目から見たらば顔は裸であります。
私は実は神経の専門であって、同時に表情筋肉の運動と神経が私の本当の専門であります。
したがって、顔も私の研究材料の中に入っているのであります。
美しくともつまらん顔があります。
そして、いわゆる世間的に美しくはないけれども、誠に素晴らしい顔があります。
望ましいのは、世間の人が見てもきれいで、我々研究者が見てもよい顔がいちばんよいのでありましょうが、
そのよい顔というのはみなさんの生まれたままでもってきた顔ではないのであります。
それに精神の美が加わらなければ、本当の化粧の仕上げはできないのであります。
いかように化粧をしても、最後はもうひとつ加えて、心の化粧がなければ本当の顔にはならんのであります。
以前、美容師の大学講座というのがありました時に会場でその話をしましたら、美容師たちが
うれしいような寂しいような顔をしておりました。
そうでしょう、あなた方がいくら化粧をされてもやっぱり最後にもうひとつ、
心の美、心の化粧というものが残る。
化粧はしたがってあなたがたが外から加えられる化粧と、本人自身が心を清めて、心を尽くして美しくして
心の中から出る表情、外の美と内の美と両方が加わらなければ本当の化粧は仕上がらないのであります。
それにうれしいことには、どんな若い人もやがては年寄りになるのでありますが、
いわゆる外の美というものは落ちるのであります。
しかし歳がいきましても、心の美というものは、どんなにシワクチャになっても
本当に美しい顔はますます美を加えるのであります。
そういう意味で、いわゆる化粧学を聞かれても、心の化粧という章はないそうであります。
これはまずもって化粧学が本当の学問になっておらんという証拠だと思うのであります。ー以下略ー》

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