私が子どもの頃は、怖いものの順番はこうでした。おやじの恐ろしさを表すことばです。今のお父さんのイメージは違いますよね。親日ドイツ人で、栄光学園校長を長年勤めていた故グスタフ・フォスは、『日本の父へ』の中で、親父のあり方を次のように言っています。
じしんは“自信”。自信ある、信念の強固なおやじ。価値観の多様化された今日、何でも都合のいいように妥協してしまう現代、とんでもない誘惑の多い社会・・・。この迷路だらけの原始林の中で、おやじは一つの道しるべにならなければならない。イエスもノーもはっきり言ってくれる自信たっぷりのおやじに。
かみなりは、“神なり”。人類の父である神、その神の偉大なる愛や思いやりにならって、妻と子ども達のために尽くす。このようなイメージで、ゴロゴロ怒るおやじと私は考えない。「愛しているよ。」「力になってあげるよ。」「いつでもそばにいるよ。心配いらないよ。」このようなことが言える言行一致のおやじに。
かじは“家事”。エプロンをして料理をすることもたまにはいいでしょうが、こういうことではなく、家庭内のいろいろな事柄、或いは家庭生活を楽しむ為の大小さまざまな仕事のことです。おやじは下宿人、又は夜のお客さんになってはいけない。家族の一員として、家族の生活の友となり、相談相手となり、みんなの拠りどころになることこそ家庭づくりなのです。愛情を持って積極的に家庭生活に参加したり、それを充実させたりすることは、おやじの家事に対しての最大の務めではないでしょうか。
以上のおやじには、恐ろしさではなく厳しさがあります。厳しい中にも、家の中心となって、妻や子どもの支え(特に精神的な支え)となる人になってほしいと言っています。
・・・などなど、子どもや家族、そして社会にとって一番大切なものは何かを、日本のおやじ達に考えて欲しいと真剣に書かれた本だと思います。お父さん方、是非読んでみて下さい。