鈴木秀子(文学博士)氏の貴重なメッセージがあったので紹介します。
“「大事なこと」とは何も特別なことではありません。
それは私たちがついつい見過ごしている日常の一コマです。
例えば、左手を怪我したとしましょう。
最初は「ああ、利き手の右手でなくてよかった」と思います。
しかし、紐を結わくにも包丁を使うにもファスナーを開けるにも右手だけでやろうとすると、とても不便です。
この時、左手の働きというものに気づくのです。
右手と左手がどちらも等しく大切であるように、世の中はすべて陰陽のバランスで成り立っています。
男女、雌雄、天地、表裏、明暗、凹凸。
これらが常にバランスを保っているからこそ社会は発展し、どちらかに傾いてしまうと秩序は崩れてしまいます。
死も同じです。愛する家族を失った時、誰もが深い悲しみに襲われます。
しかし一方で身近な人の死は、自分を支えてくれる家族の温かさ、葬儀に集まってともに涙を流してくれる周囲の優しさに触れ、
ともに悲しみを乗り越えようという結束力が高まる大切な機会となります。
いつまでも「こんな辛いことが起きなきゃよかった」という感情にばかり縛られていると、そういう隠れた大切な部分が見えなくなるのです。
人生はよいことばかりは起きません。
しかし悪いことばかりも起きません。
何か嫌なこと、辛い出来事に遭遇した時には、このように自分に問い掛けてみてください。
「この出来事が自分に何の益をもたらしてくれるだろうか。 この辛い体験から何を学べばよいのだろうか」
世の中に何の意味もなく起こることは一つとしてありません。
怪我をしてしまったのも「左手をもっと大切にしなさいよ」というメッセージだったのだろうか、と受け止めてみることが大切です。
このように起こる出来事に感謝して考えを切り替えることで大切な答えが見つかり、
いつの間にかバランスを取っている自分の姿に気づくはずです。
これが自立した人間の姿です。
自立というと精神的、経済的に独り立ちした姿をイメージします。
もちろんそれはとても大切なことですが、その根底には「相手のせいにしない」という原理原則があることを忘れないことです。
嫌なことがあって、つい誰か他人や環境のせいにしてしまうのは一種の心の自然反応です。
しかし、いつまでもそこに留まっていると中心軸から離れて次々にエネルギーが奪われていきます。
これとは反対に自立した人の周囲は常に安定して穏やかです。
穏やかな波動は、さらに穏やかな波動を呼び寄せます。
このような自立した人であって初めて「幸せ発信地」になれるのです。”
このメッセージは、今の私の為にあるようにさえ思えます。