北原照久氏(世界的なブリキのおもちゃコレクター)の場合・・・。記事を紹介します。
≪66年の人生を振り返ってみると、私はこれまで思い描いた夢をすべて実現させることができている。
17歳の時に憧れの加山雄三さん、吉永小百合さんに会いたいという夢を持った。
その後、20歳の時にはフォードの高級車・サンダーバードが欲しい。
おもちゃの博物館をつくりたい。30代では豪邸に住みたい。
「そんなの無理だ」
ほとんどの人からこう言われた。誇大妄想狂やほら吹き、狼少年と揶揄された。
ところが、37歳の時、
横浜にブリキのおもちゃ博物館を設立し、49歳の時に500坪の豪邸を、50歳の誕生日にサンダーバードを手に入れ、52歳の時に加山さんと、還暦の年に吉永さんとお会いすることができた。
今では周囲から「世界的なおもちゃコレクター」と称されるようになり、6つの博物館を経営し、
年間約150本の講演、累計71冊の著書を出すまでになったのである。
なぜこうも運よく夢を実現させることができたのか。
そう考えた時、私の中に一つの答えが浮かび上がった。
「すべては出逢いである」
人との出逢い、物との出逢い、そして言葉との出逢いが、
自分の人生をよい方向に導いてくれたと思わずにはいられない。
私は1948年、北原家4人兄弟の末っ子として生まれた。
上の3人は皆、近所でも評判になるほどの秀才だった。
それに対して私の成績は体育を除いてオール1。
親は寛容だったが、学校の先生からは常に兄たちと比較される。このことが勉強嫌いに一層拍車をかけた。
中学に入ると、勉強ができないため授業をさぼるのが当たり前になり、盛り場に入り浸って喧嘩をしたり、
悪友と遊びに耽るようになっていった。
揚げ句の果てには、中学校3年生の2学期に、ある事件をきっかけに退学処分を食らったのである。
この時が私の人生のどん底だったかもしれない。
退学になったその日、私はひどく落ち込み、親に合わせる顔がないと思うと、なかなか家に帰ることができなかった。
ところが、打ちひしがれていた私を見るにつけ、
母はこう言ったのである・・・
「お前の人生はこれで終わったわけではない。これから先の人生の方がずっと長い。だからめげることはないよ。人生はやり直しはできないけれど、出直しはいつでもできる。」
ー高校時代、学年最下位の成績だった北原さんが799人をごぼう抜きし、学年トップとなり、
卒業生総代まで上り詰めた要因とは・・・。ー
入学し間もない頃、最下位だった私がたまたま60点をとった時、担任が「北原、凄いな!お前はできないんじゃなくて、やらなかっただけだ。やればできるぞ!」
本心から褒めてくれた先生のこの言葉が私の心に火がついた。猛勉強をする。成績が上がる。又猛勉強をする。成績が上がる。そして自信をつけていった。
・・・(略)・・・悪口を言う人のところには人は集まらないし、運も離れて行ってしまう。良いときには「感謝」し、悪いときには難があるから「有り難う」という。こういうことを口ずさんでいると、運命はよくなり、人生は好転していく。これは私の心からの実感である。≫