今日は古河で、致知出版社々長の藤尾秀昭氏の講演会があるので出かける予定です。その藤尾氏の投稿文を紹介します。
“児童文学作家の故・椋鳩十さんが、こういう話をしておられる。 椋さんの故郷は信州の伊那谷の小さな村。三十年ぶりに帰省すると、小学校の同窓会が開かれた。禿げ上がったり皺が寄ったり、初めは誰が誰やら分からなかったが、次第に幼い頃の面影が蘇ったきた。だが一人だけどうしても思い出せない。背が低く黒く、威風がある。隣席の人に聞くと「あんな有名だったやつを忘れたか。ほら、シラクモだよ。」椋さんは、えっとなった。・・・シラクモは、あたまに白い粉の斑点が出る皮膚病である。それを頭に噴出して嫌われ、勉強はビリでバカにされ、いつも校庭の隅のアオギリの木にポツンともたれていた。・・・ ゆったりした風格を滲ませてみんなと談笑している男が、あのシラクモとは・・・。聞けば伊那谷一、二の農業指導者としてみんなから信頼されているという。二次会で椋さんは率直に、「あのシラクモがこんな人物になるとは思わなかった。何かあったのか。」と聞いた。彼は「誰もがそういう。」と明るく笑い、「あった」と答えた。
みじめで辛かった少年時代。彼は我が子にはこんな思いはさせまい、望むなら田畑を売っても上の学校にやろうと考えた。だが子どもの成績はパッとせず、勉強するふうもない。ところが高校二年の夏休みに分厚い本を三冊借りてきた。その気になってくれたかと彼は喜んだ。が、一向に読むふうがなく、表紙には埃が積もった。
彼は考えた。子どもに本を読めというなら、まず自分が読まなければ、と。農作業に追われ、本など開いたこともない。最初は投げ出したくなった。それでも読み続けた。引き込まれた。感動がこみ上げた。その感動に突き動かされ、三回も読んだ。その本はロマン・ローランの『ジャン・クリフトフ』。聴覚を失ってなお自分の音楽を求め苦悩したベートーヴェンがモデルと言われる名作である。主人公ジャンの苦悩と運命が、彼にはわがことのように思われたのだ。だがジャンは自分とは違っていた。ジャンはどんな苦しみに落ち込もうが、必ず這い上がってくる。絶望の底に沈んでも、また這い上がってくる。火のように生きている。
自分でもこのように生きたいと思った。そのためには何か燃える元を持たなければ。自分は農民だ。農業に燃えなくてづしよう。
彼は農業の専門書を読みあさり、農業専門委員を訪ねて質問を浴びせ、猛烈に勉強を始めた。斬新な農業のやり方を試みて成功させ、そして、シラクモはみんなから頼りにされる農業指導者と化した。
この話をされた椋鳩十さんは、終わりに力強くこう言っている。
「感動というやつは、人間を変えちまう。そして奥底に沈んでおる力をぎゅうっと持ち上げて来てくれる。」人間の目は前に向かってついている。前向きに生きるのが人間であることを表象しているかのようである。
感動は人を変える。笑いは人を潤す。夢は人を豊かにする。・・・そして感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人間だけである。
天から授かったこのかけがえのない資質を育み、さらに磨いていくところに、前向きの人生は拓けるのではないだろうか。 -藤尾秀昭ー”