長年自殺率ワースト1だった秋田県の自殺者数をこの10年間で半減させた立役者といわれる“命の相談員”佐藤久男氏。
その活動が昨晩、NHK番組『プロフェッショナル100人の流儀』で放映されました。
佐藤久男氏(NPO法人「蜘蛛の糸」理事長)の記事が、2009年8月号の月刊『致知』の随想欄にありましたので紹介します。
《三日前に自殺未遂をしたという男性が、真っ青な顔をして私の事務所に駆け込んできた。
「自分では、死にたいという気持ちは 一つもなかったのに、気がついたら首を吊ろうとしていたんです……」
会社を倒産させた経営者らの相談に応じ、自殺から守るNPO「蜘蛛の糸」を秋田市に設立したのは、2001年のことである。
実は私自身も相談者らと同じ経験をしたことがあるため、その心情はよく理解できる。
たとえ本人に死ぬ気はなくとも、絶望感や喪失感から幻覚症状を起こし、そうした衝動に駆られてしまうことがあるのだ。
つまり自殺とは、する、しない、という本人の意思にかかわらず、「させられてしまう」ものなのである。
* *
思えば私の人生の脇には、いつも「自殺」があった。
私が六歳の時に、会社経営をしていた父が川の浅瀬で遺体で発見された。事故死なのか、自殺なのか、今もって分からない。
父と同じ道には進むまいと、県庁職員になり、その後、不動産鑑定事務所に転職したものの、自分で事業をしたいという思いが強くなり、三十四歳の時に不動産会社を設立。
住宅工事も手がけて県内十指に入る規模まで事業を拡大し、関連会社も含めて年商は十五億円を上げていた。
ところが、バブル崩壊後の長引く不況で住宅部門の売れ行きは激減し、二十三年間経営した会社はあえなく倒産。
負債額は十億円近くに上った。
そうしてさまざまな残務処理に忙殺される中、不眠症と胃潰瘍を患い、重度の鬱病になった。
布団に入ってもなかなか寝つけず、やっと眠れたかと思うと、街路樹で首を吊ったり、
地獄の暗闇に落ちる自分の姿が、次から次へと夢に現れてくる。
バッ、と飛び起きると、恐怖で体がワナワナと震えており、自分自身が惨めで、情けなくて、とめどもなく涙が溢れ出た。
人前では努めて明るく振る舞っていたものの、
知人から「大変な迷惑をかけてよく笑っていられるな」と言われたこともあった。
そんな私を死の瀬戸際で踏み止まらせてくれたものは、自殺の可能性もある父の死を
私の代にまで連鎖させ、家族を悲しませてはならない、という強い思い。
そして、四十歳の頃から幾度となく読み返してきた、伊藤肇氏の著書『左遷の哲学』だった。
同書に出てくるシェイクスピアの箴言 「嵐の中でも時間はたつ」。
また「人の一生には『焔(ほのお)の時』と『灰の時』とがある」という言葉。
ぬくぬくと暮らしていた時には響いてこなかった二つの言葉に、思わず縋りついている自分がいた。
人生には、燃え盛る焔のように勢いづき、何を行っても円滑に事が運ぶ時がある。
その逆に、ものを燃やす火種すら消え、何一つうまくいかない時がある。
そんな時はじっと自己に沈潜し、時がめぐってくるのを待て――。
この言葉によって、私は六十八歳までの十年間で自分が立ち上がっていくための計画書を作り、
人生の再起を図ろうと決意したのである。
* *
現在、活動を行っている「蜘蛛の糸」は、知人の経営者らが相次いで自殺をしてしまったことがきっかけで設立したが、
中小企業の経営者や自営業者には、家族にも弱みを見せず、問題を一人で抱え込んでしまうタイプが多く見受けられる。
私は相談に来た人が自殺に踏み切るのを引き延ばすため、相手の話を一通り聴き終わると、
「来週、○月□日にまた会いましょう」と約束をする。そして帰っていった後も、「元気ですか?」とまめに電話を入れ、次の週、また次の週というように、面談を三回、四回と重ねていく。
すると次第に問題点が整理されていき、目の前にうっすらと希望のようなものが浮かび上がってくる。
毎週数時間の面談、それを三年間続ければ、ほとんどの問題は解決し、自らが命を絶つこともない。
これまでの九年間にわたる活動の中、三百三十人を超える相談者の話を聴き、二千回近くの面談を重ねてきた。
先に述べたように、誰の人生にも、炎の時と灰の時がある。
たとえ灰の時期があったとしても、そう長くは続かない。
人間の運命とは糾える縄のようなもので、どんな苦しみであっても、それほど長くは続かない。
いくら死にたい時があったとしても、その反動で「生きたい」という強い気持ちが必ず湧いてくるのである。
自殺未遂をし、「死にたい」「死にたい」と口にしていた人でも、二、三年後にひょっこり会うと、
意想外にけろっとしているケースをよく見かける。
苦しみから逃げることなく、時間をかけてじっくり自分と向き合っていけば、回復していける場合が大半であるのに、
自殺をしてしまう人の多くは、そのことに気がつかないでいる。
倒産とは、あくまで財産の清算を行うことであり、命の清算までをする必要は決してない。
嵐の中でも、必ず時はたつのだから。》