1月26日は日本最古の木造建築“法隆寺の金堂”が火災に遭った日です。このことをきっかけに、“文化財防火デー”ができたと記憶しています。昨日は午前中に、大宝八幡宮拝殿前におきまして、発煙筒を焚いて火災を想定し、消火訓練が行われました。1月・2月は火災が多いので、特に気を付けなければ・・と思います。
昨日はよく晴れていたので、放水中にきれいな虹ができていました。写真の右端中央の虹がお分かりになりますか?
2014/01/27
1月26日は日本最古の木造建築“法隆寺の金堂”が火災に遭った日です。このことをきっかけに、“文化財防火デー”ができたと記憶しています。昨日は午前中に、大宝八幡宮拝殿前におきまして、発煙筒を焚いて火災を想定し、消火訓練が行われました。1月・2月は火災が多いので、特に気を付けなければ・・と思います。
昨日はよく晴れていたので、放水中にきれいな虹ができていました。写真の右端中央の虹がお分かりになりますか?
2014/01/24
今日の午後は、「ラ・ポール下妻」のお誕生会に、“五行の舞”の舞姫達が行って参りました。
1回舞い終わると、間もなく「アンコール」の声がかかり、もう一度。
そのあと、1人ずつ握手をして回りました。入居者の方々は子どもの手を、涙を流しながら握りしめていました。お年寄りに元気を与えた子ども達ですが、子ども達も、心から喜んでくださるお年寄りの温かい心に触れる貴重な体験をさせていただきました。傍らで見ていた私もうるうるしてしまいました。
2014/01/23
最近特に、冷え症だという若いお母さん方に出会います。第二子が授からない…という人も。どうもみなさん、身体を冷やしてしまっているのではないかと思います。寒くても襟元が大きく開いていたり、足元は薄いストッキング一枚だったり・・・。お腹と下半身、首の付くところ(首・足首等)は温めた方がいいですよ。低体温は問題です!私たちの平熱は、36.5度~37.2度というのをご存知でしょうか?
当園にはEMベッド(陶板浴)なるものがありまして、(可能な範囲で)職員が15分ずつ交代で温まれるようにしています(着の身着のままで横になるだけ)。大人の昼寝というのは15分~20分が有効のようで、15分という短時間でも結構スッキリするものです。自律神経の働きも良くなります。そして、健康を維持することは、仕事を続ける上で重要なポイントです。体が冷えていると、頭の働きも鈍くなりますし、夜の眠りも熟睡できません。熟睡できないと、翌日いい仕事ができません。
・・・そこで、考えていることがあります。保護者限定で、土曜日に使っていただけるよう開放することを考えています(お1人15分~30分以内)。詳細は2月の園だよりでお知らせします。このEMベットの効用は、体を温めるだけでなく、血液をサラサラにし、リラックス状態にしてくれると言われています。リラックス状態とは、自律神経的には副交感神経優位の状態で、夜が良く眠れるようになり、免疫力を高めるともいわれています。…私は、2人目を出産した後、運動不足もあって冷え症となり、しもやけまでできるようになってしまいました。が、ジョギングを始めるようになったら解消したのですが、幼い子がいたら早朝ジョギングというわけにはいきませんからね。 尚、EMベッドの開放は、お子さん連れでも可能なように、考えたいと思います。
2014/01/22
日頃からの養生として、食生活については、みなさんご存知でしょうが、先ず「ま・ご・わ・や・さ・し・い」です。ま(まめ)ー豆類、ご(ごま)ー種実類、わ(わかめ)ー海藻類、や(やさい)ー緑黄色野菜・淡色野菜・根菜、さ(さかな)ー魚介類、し(しいたけ)ーきのこ類、い(いも)ーイモ類を中心にした食生活のことです。私の母方の祖母は、昨年百歳で他界しましたが、いつもこの「まごわやさしい」を食べていればいいんだよが、口癖でした。 次に、よく噛むことだと思います。食生活で最も大事なことはというと、何を食べるかよりも「噛むこと」を上げる方は多いです。一口入れたら30回(ありがとうございます×3回唱える)噛むことを意識していきたいです。
2014/01/21
杉山龍丸という人物をご存じでしょうか。
インドで「緑の父」と尊敬される日本人ですが、その名前や功績は殆ど知られていないと思います。
私財を投じ、不毛の地と言われたインドに植林し、稲作や農作物ができる土壌に変え、多くのインド人を飢餓から救いました。
「グリーンファーザー・杉山龍丸」の感動的な記事(ご子息の杉山満丸氏の記事)があったので紹介します。
≪父・龍丸が初めてインドを訪れたのは昭和37年、43歳の時でした。
数か月にわたりインド国内の現状をつぶさに見て歩きました。
同年12月、パンジャップ州の総督と面会した際、「インドの生活を豊かにするためには どうしたらいいか」という質問に対し、龍丸は「木を植えることです」と答えます。
当時、インドは食糧不足で、街には物乞いの人が溢れ、餓死者も後を絶たない状況だったのです。
原因はインドの砂漠化でした。インドは古代より森の木を切り倒し文明を開いてきたため、土地がやせ、大地の水がなくなり、地面が乾燥し、不毛の地となってしまっていたのです。
龍丸はパンジャップ州の植林事業の指導を引き受けることになりました。
周辺の地形を調べると、首都デリーからアムリッツァル市までの約470kmの国際道路は北側のヒマラヤ山脈と並行していることに気づきます。この道路に沿って木を植えていけば根が地下に壁のようなものをつくり、そこにヒマラヤに降った雨を溜めることができ、
大地に水分が蓄えられ、穀物や野菜を育てることができると考えたのです。
植えるのはユーカリにしました。根が深く伸び、生命力も強く、何より成長が早い。
さらに成長すればパルプや建築資材として売れることも魅力でした。
それから間もなくのことです。
龍丸の下にインドで大飢饉が発生したとの連絡が入ります。この飢饉は3年にもおよび、実に500万人もの餓死者が出ました。
「この飢饉を救う方法を教えてください」
インドにいるガンジー翁の弟子たちからの懇願に、龍丸は黙っていられませんでした。
活動資金をつくるため、父の茂丸、祖父の久作から譲り受けた4万坪の杉山農園の土地を切り売りすることに、なんの躊躇もありませんでした。
再びインドへ渡った龍丸は、何百、何千という餓死者の亡骸と、生きるために物乞いする子供たちを目の当たりにし、
「この地獄から一刻も早く 人々を救わなければならない」と、改めて一刻も早く木を植え、森をつくることを誓ったのでした。
ユーカリの植林事業はデリーからアムリッツァルまでの470kmの国際道路沿線両側に、2本ずつ、4m間隔で植えることにしましたが、
当然現地の人たちの協力が必要になります。
最初は突然やってきた日本人の申し出に訝る人たちも多かったことでしょう。
しかし、龍丸の説得により地域の農民たちを巻き込んでの植林事業はスタートしました。
「タツマルは私たちの心と話した」とは、一緒に木を植えた方からの言葉ですが、私心のない龍丸の情熱が言葉の壁を超え、彼らに伝わったのでしょう。
そうして、7年の歳月をかけて470kmものユーカリの並木が完成し、その周辺の土地は水分を含んだ土壌に代わっていきました。≫
それからまだまだ彼の挑戦は続きますが、この辺で・・・。