今月16日、91歳でその生涯を閉じた元陸軍少尉・小野田寛郎さん。
終戦から29年もの間、任務解除の命令が届かなかったため、フィリピン・ルバング島で戦い続けていた小野田さんが帰国したのは
1974年のこと。
その時、小野田さんが見せた直立不動の敬礼の姿はサムライのようだと、日本中に大きな衝撃を与えました。
帰還後、ブラジルで牧場を経営したり,「小野田自然塾」を開くなど精力的に活動。
90歳まで腹筋運動による筋力トレーニングに励んでいたといいます。
小野田寛郎(元陸軍少尉)さんが語った「極限を生き抜く心の持ち方」の記事を紹介します。
≪・・・30年間で発熱は2回でした。それは仲間が負傷して、介護疲れでちょっと出しただけです。
熱が出たところで、医者も薬もないですから、まずは健康でいることが大事です。
そして健康でいるには頭をよく働かせなければダメです。
自分の頭で自分の体をコントロールする。健康でないと思考さえ狂って、消極的になったりします。
島を歩いていると、何年も前の遺体に会うこともあるんです。
それを埋めながら、「早く死んだほうが楽ですね」と仲間に言われ、本当にそうだなと思ったこともあります。
獣のような生活をして、あと何年したらケリがつくか保証もないですし、肉体的にもそういつまでも戦い続けるわけにもいかない。
いずれはこの島で死ななきゃいけないと覚悟しているので、ついつい目の前のことに振り回され、
「それなら早く死んだほうが……」と思ってしまう。
結局頭が働かなくなると、目標とか目的意識が希薄になるんです。
──(しかし、最終的にはそのお仲間にも 先立たれお一人になられましたよね。
たった一人の戦いはまた別のつらさがあったでしょう。)ー
よく孤独感はなかったかと聞かれましたが、僕は孤独なんていうことはないと思っていました。
22歳で島に入りましたが、持っている知識がそもそもいろいろな人から授かったものです。
すでに大きな恩恵があって生きているのだから、決して一人で生きているわけではないのです。
一人になったからといって昔を懐かしんでは、かえって気がめいるだけですから、一人の利点、それを考えればいいんです。
一人のほうがこういう利点があるんだと、それをフルに発揮するように考えていれば、昔を懐かしんでいる暇もなかったです。
(中略)
自然塾の敷地には「不撓不屈」と書かれた石碑があります。
僕は日本の子どもたちには、一度目標を持ってことに立ち向かったら、簡単に諦めない、執念深く、しぶとく、くじけずに頑張ってほしい。
そして誇りを持って、優しい日本人であってほしい。
その願いを込めて、不撓不屈の文字を刻みました。
それは僕自身が貫いてきた人生の信条であり、座右の銘でもあります。≫