今週の月曜日は、高砂部屋の合宿稽古終了時に、年長男児達が土俵で朝弁慶と対戦しました。あいにくの雨でしたが見学者を大いに沸かせ、会場内は笑いに包まれました。
翌14日(火)は、おなじみ成田奈緒子氏の恒例の講演会。ウィークデイにもかかわらず、約8割の保護者が参加して、熱心に聞き入っていました。十分な睡眠をとることの大切さ、おなかをすかせて食べることの大切さ、できるだけ朝うんちが出るように、時間にゆとりをもって・・・・。などなど大いに勉強になりました。
2016/06/16
2016/06/08
国内に四店舗、パリに一店舗のフレンチレストランを経営する名シェフの黒岩功さん。しかし、小学生の頃は体は弱い、勉強もできない、友達もいない、体育もビリという子供だったそうです。
その黒岩さんには劣等感を克服するきっかけとなったある感動的なドラマがありました。以下黒岩さんの文で紹介します。
≪私が料理人を志したのは、自分自身の生い立ちや家庭環境と深く関わっています。
生まれつき小児喘息を持っており、小学校に上がるまで吸入器が欠かせませんでした。呼吸をするのも苦しく、体がものすごく弱かったのです。小学校に上がっても学校を休むことが多く、勉強もできない、友達もいない、体育競技もすべてビリという有り様。
何もできない自分に劣等感やコンプレックスを抱くようになりました。
母親は商売人で、父親は船乗りだったため、一人で家にいる時間が長く、食事は自分でつくらなければなりません。
最初はインスタントラーメンをつくって食べるだけでしたが、次第にキャベツを包丁で切ってラーメンの具に加えたりするようになり、料理が好きになっていきました。
転機が訪れたのは小学校四年生の時です。
母親参観日に家庭科の授業があり、そこで先生が「誰かこのキャベツを切ってくれますか」と聞きました。
私がすぐ「ハイ!」と挙手すると、周りは誰も手を挙げていないばかりか、「えっ、あの根暗な黒ちゃんが?」と怪訝な目で見ています。
先生も驚いた様子でしたが、皆の前に立ち、いつもどおりキャベツを千切りにしていきました。すると、全員から「黒ちゃん、すごい!」
と喝采を浴びたのです。初めて人に認められた瞬間でした。
教室の後ろでは、いつもは隅のほうで隠れるようにしていた母親が真ん中に立ち、涙を流して喜んでいるではありませんか。……≫
※以来、黒岩さんは徐々に料理人という仕事に憬れを抱くようになります。 しかし、その道のりは決して順調ではなく、種々の試練が待ち受けていました。が、黒岩さんは壁にぶち当たった時、「諦める一歩先に必ず宝がある」「信念の力」の二つの言葉を思い出しながら、「絶対にできる」と心の中で言い聞かせてきたそうです。
2016/05/18
2016/05/13
2016/05/12