ふるさとだより

心に響く言葉

2016/01/29

1月最終金曜日。なんとなくお疲れの方の為に・・・坂村真民氏の“心に響く詩”をお届けします。

☆かすかな光であっても
 ちいさい花であっても
 自分のものであれば
 最高であり 最大である

☆生きていればこそ 会えないひとにも会え
 ふしぎな契(ちぎ)りを 結ばせていただき
 こんな嬉しいことはない

☆美しい花より よい香りを持つ花がいい
 美しい人より よい性質の人がいい

☆悲しいことは 
 風と共に 消えてゆけ
 嬉しいことは
 潮(うしお)のように 響かせよ

☆最高の人というのは
 この世の生を
 精いっぱい 力いっぱい 命いっぱい
 生きた人

久しぶりの外でのお楽しみ・・・

2016/01/27

s_DSCF5973s_DSCF5987s_DSCF5974今日は午後の外遊びの時間に、久々にピザを焼きました。何より子ども達の笑顔が嬉しかったです!この香ばしい匂いにつられたのか、千客万来で、お客さんにも食べてもらいました。ほんの少しずつでしたけど、たまにはいいよね!来月も楽しみにしていてね!

プロ教師が語る理想の教師像

2016/01/26

教師が学び合う「ふくの会」を地元山口県で30年以上にわたり続けてこられたという小学校教師・福山憲市氏。
そのまなざしの先には、常にワクワクしながら授業を受ける子供たちがいたといいます。
そんな福山氏にとっての理想の教師像とは──。
この話は、教師の世界だけにでなく、どの世界でも通ずるかもしれません。
 福山憲市氏(下関市立勝山小学校)と、占部賢志氏(中村学園大学教授)の対談を以下紹介します。
【占部】ところできょうの対談では「一生一事一貫」というテーマをいただいていますが、福山先生は
  この言葉をどう受け止められましたか。
【福山】私はこの言葉を目にした時、「鉛筆型人間」という言葉がすぐに頭に浮かびました。
  鉛筆の真ん中に真っ直ぐの芯があるように、教師も真っ直ぐの芯を持つべきだと思います。
  もっとも小学校の教師については、特にいろんな芯の硬さを持たなければいけないと思うんです。
  私は以前特別支援学級を受け持ったこともあるのですが、そういったクラスの子供たちに
  通常学級の子供たちと同じように接することはできませんよね。
  ですから教師としていかなる場合も芯はぶれさせないけども、芯の硬さはある子にはHB、
  ある子にはFという具合に変えてよいのではないかと思っています。
   それと鉛筆の芯の周りには木を使っていますよね。
  だから「気をつかって」常にアンテナを張り巡らせる、そういう人間でないといけません。
【占部】それは面白い考えですね。
【福山】さらに鉛筆というのは削っていくものなので、教師も身を削りながら芯を貫いていくと。
  それを最低10年やると、自分の思いがきちんとした形として見えてきます。
  でも肉にも熟成期があるように、自分を熟させるためには20年やる。
  さらに芸の世界に守破離という教えがあるように、人とは一味違うものを出していくには30年やる必要があるのではない  かと。
  これまで「ふくの会」を一貫して30年以上やってきたこともあって、
 「一生一事一貫」という言葉を見た時に、それは「鉛筆型人間を目指そう」ということと同じだなと思いましたね。以下略
 

慰問

2016/01/25

s_DSCF5944今日はお年寄りのホーム、“ラ・ポール下妻”の誕生会に招かれて、年長女児の五行の舞を披露してきました。始まるとすぐ手拍子をする人、涙を流す人、笑顔になる人・・・。終わるやいなやアンコールの声が・・・。2回目が終わった後、お年寄りの一人一人に子ども達が「ありがとう」と握手をして回ると、また涙・・・。子ども達の力は本当にすごい!無表情の御老人をも笑顔にしてしまうんですから・・・。みんなに「可愛い」「可愛い」と言ってもらえて、たくさん誉めてもらっていい気持ちで帰園しました。寒い日でしたが、心はとてもあったかくなりました。

コツコツ続ける

2016/01/22

詩をつくり続けることと、自らをつくりあげること。
この二つを生涯貫かれた詩人・坂村真民氏。
その弛まぬ努力によって、多くの人の心に火を灯す詩を世に遺してくれました。
詩作を支えた真民さんの日常生活をご息女さん(西澤真美子氏)が話した記事を紹介します。

《詩一筋の生活というのは、言ってみれば一日の生活すべてが詩に向かっていたということです。
それも父は何事においても徹底していました。
「自分は天才ではないのだから、少しでも長く生きて、少しでも多くの詩を書く」
と口にしていた父は、食べる物にしても美味しい物ではなく、体によい物を食べていたのです。
本当にすべてが詩に向かっていた姿からは、耳を澄ませば「コツコツ」という
音が聞こえてくるのではないかと思ったくらいでした。
ただ詩を書く。
コツコツと。
おそらくある一定の期間だけでよいというのであれば、こうした生活を続けられる人もいるかもしれませんが、
これを一生続けるというのは本当に難しいことだと思います。
父には土曜日も日曜日もありませんでした。
お正月はと言うと、一年の始めだからともっともっと精進しようとするほどの凄まじさがありました。
ただ、その厳しさを家族に求めることはありませんでした。
父は自分のことはすべて自分でするという生き方を貫きとおした人でもあったのです。》