ふるさとだより

食事のあり方

2016/01/21

今日はお弁当デーでした。忙しい中にも、和食の手作り弁当も結構多いのは頑張っているなあと嬉しいです。が、レンジでチンのおかずが並んだお弁当も目立ってきているように思います。お弁当は、愛情そのものであり生命を頂くものです。月に1回ですので、どうか1品でも多く、手作り品が加わりますことを願います。

古来食べることに最も粛然と対してきたお寺の食事の記事《五つの教え》があったので、紹介します。臨済宗の大本山円覚寺の管長・横田南嶺老師の解釈です。(本文は難解なので割愛)

①この食事がどうしてできたか、どのような手間がかかっているか、どうしてここに運ばれてきたかを考え、感謝を致します。

②自分の行いがこの食をいただくに価するものであるかどうか反省していただきます。

③心を正しく保ち、貪りなどの誤った行いを避けるためにいただくことを誓います。

④この食事は良薬であり、身体を養い健康を保つためにいただきます。

⑤私は自らの道を成し遂げるためにこの食をいただきます。

 

化粧には2つある

2016/01/19

 

元京都大学総長の平澤興先生の講話を収録したCDを聴きましたが、素晴らしいお話でした。以下は講話集の中から心に響いた一部を紹介します。

《・・・・顔のことをいえば、自分の顔でありますが、同時にこれは社会に公開しておるものです。
顔だけは裸であります。
そういう意味では、顔は法律的には確かに自分のものです。
しかし影響から考えたならば、明るい顔が明るい社会を、暗い顔が暗い社会を呼ぶように、顔は同時に社会のものであります。
そういう意味で、化粧をしない素顔と多少化粧をした顔は目の慣れない人には違って見えますが、
いかように化粧をしても、慣れた人の目から見たらば顔は裸であります。
私は実は神経の専門であって、同時に表情筋肉の運動と神経が私の本当の専門であります。
したがって、顔も私の研究材料の中に入っているのであります。
美しくともつまらん顔があります。
そして、いわゆる世間的に美しくはないけれども、誠に素晴らしい顔があります。
望ましいのは、世間の人が見てもきれいで、我々研究者が見てもよい顔がいちばんよいのでありましょうが、
そのよい顔というのはみなさんの生まれたままでもってきた顔ではないのであります。
それに精神の美が加わらなければ、本当の化粧の仕上げはできないのであります。
いかように化粧をしても、最後はもうひとつ加えて、心の化粧がなければ本当の顔にはならんのであります。
以前、美容師の大学講座というのがありました時に会場でその話をしましたら、美容師たちが
うれしいような寂しいような顔をしておりました。
そうでしょう、あなた方がいくら化粧をされてもやっぱり最後にもうひとつ、
心の美、心の化粧というものが残る。
化粧はしたがってあなたがたが外から加えられる化粧と、本人自身が心を清めて、心を尽くして美しくして
心の中から出る表情、外の美と内の美と両方が加わらなければ本当の化粧は仕上がらないのであります。
それにうれしいことには、どんな若い人もやがては年寄りになるのでありますが、
いわゆる外の美というものは落ちるのであります。
しかし歳がいきましても、心の美というものは、どんなにシワクチャになっても
本当に美しい顔はますます美を加えるのであります。
そういう意味で、いわゆる化粧学を聞かれても、心の化粧という章はないそうであります。
これはまずもって化粧学が本当の学問になっておらんという証拠だと思うのであります。ー以下略ー》

初祈祷

2016/01/15

s_DSC01318 今日の午後は、全園児・全職員、八幡宮の拝殿にて、安全と健康の祈願を受けました。今年も一年、神様のご加護によっておまもり頂けることでしょう。お守りはかばんに付けておきましょう・・・。

迷いネコ

2016/01/14

s_20160112_093943s_20160112_102609 先週末頃から境内に迷い込んでいます。写真の通り可愛い鈴がついています。お心当たりの方は大宝八幡宮社務所まで。

新年によせて

2016/01/07

遅ればせながら、今年も宜しくお願い致します。

仏教詩人「念ずれば花ひらく」で有名な“坂村真民”氏の『坂村真民一日一言』に1月1日に「願い」という詩があります。

 ★★ 日本を
    楽しい国にしよう
    明るい国にしよう
    国は小さいけれど
    住みよい国にしよう
    日本に生まれてきてよかったと
    言えるような
    国造りをしよう
    これが二十一世紀の日本への
    わたしの願いだ          ★★

 この“国”というところを“園”に置き換えたものを、新しい心構えとしたいと思います。