ふるさとだより

視察に行ってきました。

2015/11/24

s_DSC00757 先週一週間、全国私立保育園連盟主催のハンガリー保育視察・体験研修に行ってきました。この国は、作曲家コダーイ生誕の地でもあるので、わらべうたや民謡、民話をとても大切にし、3日目の見学園では、民話を即興劇にして子ども達に披露するというので、一緒に見せてもらいました。あらすじを事前に聞いていたので、とても楽しく見ることができました。セリフもアドリブで即興ということで、芸達者の保育士さん達でした。3~5歳の幼児園と0~2歳の乳児園の6ケ園と保育士養成校の授業の見学、各所で長時間の質疑応答の時間があり盛りだくさんでしたが、何といっても現地に20年以上滞在する日本人のサライ美奈さんというとても有能なコーディネーターがいらしたことで、内容もよく理解でき、学びの多い有意義な研修となりました。自園でもプラスになるところは取り入れていこうと早速職員に話したところ、クラス単位で話し合いをしてできるところから試してくれています。《ひとりひとりを大切にする》ということでは同じだと思っています。

「困難に負けない言葉」

2015/11/13

日本人女性として二人目の宇宙飛行士となった山崎直子さん。
しかし、宇宙飛行士になる志を立ててから地球を飛び出すまでに、11年もの下積み時代があったそうです。
そんな山崎さんが壁に直面した時、いつも思い出していた言葉があるといいます。
山崎さんが大きな力をもらっていた言葉とはなんだったのか。以下に紹介します。

《特に4年目の2003年、スペースシャトル・コロンビア号が空中分解をする大きな事故が起きて、宇宙計画自体が不透明になってしまったんです。この事故では一緒に訓練をしていた仲間7人が亡くなったこともあって、しばらくは呆然としていました。私は長女を出産した後で育児休暇中でしたが、保育園入園も決まってそろそろ訓練に復帰しようか、
と思っていた矢先の大事故でした。
アメリカの宇宙船が飛べないということで訓練計画も大きく変わりましてね。
私は長女を日本に残して急遽ロシアに行き、さらにアメリカに移って訓練を続けたんです。
飛べるのかな、飛べないのかなと思いながら、それでも訓練だけは重ねていきました。
このように自分の力だけではどうしようもない壁に直面した時に励まされ、支えになったのは、高校の担任の小田川恭子先生が紹介してくださったある言葉だったんです。
──どういう言葉でしたか?
20世紀のアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーが1943年、小さな教会で説教した時の祈りの言葉です。
 神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
高校時代、この言葉をたまたま日記に書き残していて、大人になってそれを読み返した時、大きな力をもらいました。
いま自分ができること、変えられることが何かあるはずで、それをやっていくことで
一歩一歩道に近づいていけるのかなと。
実際、私は「おまえたちが訓練するスペースシャトルは飛ばないよ」と何度も言われてきました。
しかし、飛べるチャンスが一パーセントでもあるかもしれないと信じてやってきたんです。以下略ー》

母を救った娘の言葉

2015/11/12

知的障碍のある長男の誕生、夫の死、そしてご自身の大病。
度重なる試練に見舞われ、悲しみのどん底に沈んだ岸田ひろ実(ミライロ所属講師)さん。
そんな岸田さんを救った娘さんの言葉がグッと胸に迫ります。以下紹介します。

《ある日、娘が車椅子を押して私を街に買い物に連れ出してくれたんです。
目的の店はすぐ目の前なのに車椅子では遠回りしないと行けないというようなことがいかに多いかを、
この時の外出で初めて実感しました。
それともう一つは人の目線ですね。どこに行っても「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう……。
「車椅子で何とかなると言ったって、 何ともならないじゃない」
という感情がワッと込み上げて、一所懸命に頑張ってきたものが音を立てて崩れるようでした。
それが本当に辛くてレストランに入った時、「もう無理」と思って初めて娘の前で泣きました。
「こんな状態で生きていくなんて無理だし、 母親として、してあげられることは何もない。
 お願いだから、私が死んでも許して」って。
──娘さんは何と?
「泣いているだろうな、死なないでって言われるんやろうな」
と思ってふと見たら普通にパスタを食べていました。そして
「知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。一緒に死んであげてもいいよ」と言ったんです。
続けて「でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、ママは私のことが嫌いになる?面倒くさいと思う?」と聞きました。
「思わないよ」
「それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、歩けないなら私が手伝ってあげる。
 二億パーセント大丈夫だから私の言うことを信じて、もう少しだけ頑張ってみようか」と言ってくれたんです。
私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。》

 

「悲しみの底で気づいた感謝の心」

2015/11/11

とても小さな物語でも、大きな感動がありました。
国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子氏の記事です。以下に紹介します。  

《最近、ワシントンでアメリカ人などを対象に講演する機会がありましたが、とても印象に残るアメリカ人女性の
体験発表がありました。
その女性のご主人は地位のある学者で、経済的にも恵まれ、二人の子供は有名大学に進学するなど、
一家は何不自由ない幸せな生活を送っていました。
私もこの家族を以前から知っていました。
ところが、ご主人はある時病に倒れて亡くなり、さらにその一週間後、娘さんがバイクに乗って外出したまま、行方不明になってしまったのです。バイクはすぐに見つかったのですが、娘さんは約6か月後、近くの公園で遺体となって発見されました。
それから3年間、女性は身が擦り切れるほどの苦しみを味わい続け、思うところがあって今回、私の講演会に参加しました。
この講演会は私が話すだけでなく、参加者が体験を語り、皆で分かち合うという趣旨のものでした。
女性は自身の辛い体験を話した後、このように続けたのです。
「いま振り返ると、私がいかに傲慢であったかが、よく分かります。夫が健在な時、こういう場に足を運んでもシスター鈴木の言葉は全く受け付けなかったでしょう。
 しかし、いまシスターや参加者お一人おひとりの体験を聴きながら、心から共感している自分がいます。
 平凡に思える毎日にいかに感謝すべきかもよく分かります。そうなれたのは辛い時期があったからこそ。
  あの時期は人に共感を持てる自分に成長させてくれる本当にありがたい出来事だったのです」
一緒の場にいた人たちもレベルこそ違え、様々な苦悩を背負いながら生きています。
それだけに彼女の発言に心から共感し、魂が共鳴している様子が手に取るように分かりました。
自分に与えられた苦しみや欠点を静かに受け入れ、そこに愛と感謝を感じ取ることの素晴らしさ、
その気づきを促すための言葉の持つ重みというものを改めて感じたアメリカでの出来事でした。》

一分呼吸のすすめ

2015/11/10

現代人の多くは、体の緊張によって、まるでじっと息を殺しているように呼吸が浅く、事あるごとに息をとめてしまう
癖が染みついているそうです。みなさんの呼吸はいかがでしょうか?
誰でも簡単にチェックできる森田愛子氏(渋谷鍼灸理学治療室室長)の「一分呼吸」の記事がありましたので紹介します。
  
《呼吸の質を改善する為にまず大事なことは、いまの自分の呼吸が楽か否か、安定しているか否かという基準を持つことです。呼吸には「吸う」「止める」「吐く」の三つしかありません。
この三つの呼吸に慣れ、強化して呼吸力を養うこと。そして、自分の呼吸癖に気づくきっかけになるのが「一分呼吸」です。
◆一分呼吸
1 20秒かけて鼻から吸う
2 20秒止める
3 20秒かけて口から吐く
呼吸の最中に、手に力が入らないよう注意してください。
手に力が入ると肩がロックされ、息が出入りしづらい状態になります。
慣れないうちは、20秒息を続けることが難しいかもしれません。

その場合は無理をせず、最初は3秒くらいずつからでも構いません。
少しずつ時間を延ばして、最終的に20秒ずつ、合計一分で一呼吸できるようになるとよいでしょう。
一分呼吸を行うと、自分の呼吸の癖が分かり、質のよい呼吸が楽にできるようになります。
さらに全身が温かくなる、気持ちが落ち着くといった様々な効果を得られるでしょう。
現代人に多い、浅く止まりやすい呼吸は、胸の上部で行われています。
こうした呼吸では息を体の芯まで取り込めず、体の前面に散らばるように逃がしてしまっています。
そこで、息を逃さず体の芯まで深く入る呼吸を身につけるのが「合掌呼吸」です。
(略)
呼吸法を通じて、鼻から吸った息が体の中心を通過し、腹の底にストンと収まっていく感覚を味わってください。
大切なことは、一時的な訓練で終わらせるのではなく、継続的に実践して普段の呼吸の質を高めていくことです。
深い呼吸の感覚を繰り返し体に覚えこませることで、強く、太い呼吸軸が養われ、体の不調も改善していくことでしょう。》

なんと、ここまで書いて自ら実践していたら、以前病を患っていたことのある職員が、その方法は正に東北大の某先生に痛みを取る方法として教えてもらったものと同じだ!と言っていました。