ふるさとだより

いよいよ着工

2015/08/18

P1060458文化財保護A地区の当地ですが、4月に文化庁に申請をした庭園が、やっと本日工事が始まりました。昨日の雨で一日延期になりましたが、お盆前よりも気温が下がったこともあって、計画通りに進むような気がします。今日の午後は、写真のように庭園の中央に煉瓦を組んでくれていましたが、この2人の職人さんにちょっと触れます。この職人さんはなんと親子で、息子さんが社長さんなんだそうです。とても仲が良く、お互いを尊重し合っていて、互いに助かっていると言っていました。息子さんには4人のお子さんがいるとのことで、8人家族で賑やかに暮らしているということなのです。親子で一緒に仕事ができるってすばらしいことだと、心から感動しました。とても気持ちがいいお二人でした。明日も宜しくお願い致します。

『大きな木』

2015/08/17

P1060455当園はギビングツリー(GT)加入園で、<見守る保育を>実践しています。全国にその仲間がいて、目指す方向が一緒なので、見学や情報交換をしあって、質を高める努力をしているところです。GT主催の研修会も多くあります。代表は新宿せいが保育園園長藤森平司氏です。11月に、毎年恒例の関東GT園の勉強会があり、今年の担当がGT北関東(茨城・栃木・群馬)なので、本番に向けての準備委員会を毎月1回実施しています。今月の委員会で、GTの原点になっているこの本のことが話題になりました。意外にも知らない人の方が多かったので、1度は読んでおきましょうということになりました。この本のタイトルは『大きな木』ですが、原題は『The Giving Tree』というのです。文字通り訳せば与える木です。このリンゴの木は最初から最後まで一人の少年に何かを与え続けます。原文では、“木”は“彼女”となっているそうです。母親のような愛、見返りを望まない愛をいうのでしょう。このような木になれるか、或いは少年になるか、心がけ次第?

幸せのたね

2015/08/12

P1060447P1060452今日の午後一番に、《幸せのたね》作詞・作曲者“奥村多恵子”さんが来園。子ども達にまずCDの伴奏で歌を披露して下さり、次は曲に合わせてエアロビクスダンスを、最後に奥村さんのピアノ伴奏で子ども達と大合唱を・・。大盛り上がりでした。・・・最後のひとりまで子ども達は奥村さんにハイタッチを求めて退場していきましたが、奥村さんとファンクラブ御一行も、とても感動し、子ども達からパワーをもらって元気になれた!とおっしゃっていました。乳児から学童児まで全員参加で、熱い時間となりました。

歌って本当に元気になれていいですね。この詩がまたいいんですよ。思わず涙が出てしまうほどでした。曲もまたわかりやすいので、すぐ口ずさめます。学童さん達は初めてでしたが、早速踊れていましたから・・・。

明日からお盆です。いろんな方のご縁で今、輪が広がっています。ご先祖から頂いた命の繋がりにあらためて感謝したいと思います。

 

 

学童さんに招待されました

2015/08/11

DSCF3766今日は学童さんのお楽しみ会でした。昨日から会場の準備をしてきて、シャボン玉・水鉄砲などの水遊びの他、流しそうめんやかき氷などで涼をとりながら楽しみ、暑かったけど、始終笑い声が“夢のもり”に響き渡っていました。毎年恒例の学童のこのお楽しみ会は、今年も全員出席でした。

朝9時前に学童さんの代表の数名が年長児に招待状を持って来てくれて、午前昼寝後、流しそうめんをごちそうになってきました。初めての体験、しかも学童さんの前で緊張しながらも、流れる麺をお箸で一生懸命追いかけていました。

「遺伝子にスイッチが入った瞬間」

2015/08/06

長年、日本代表やJリーグチームの監督として日本のサッカー界をリードしてきた岡田武史(FC今治オーナー)さん。
現在は、愛媛県の今治の地から、日本サッカーの新たな礎をつくるべく日々奮闘されています。
そんな岡田さんが監督時代に体験した、遺伝子にスイッチが入った瞬間を感じたというエピソードをご紹介します。

《サッカーが注目を集めたのはJリーグができて以降ですからね。
その頃の僕は、午前中は丸の内で仕事をして、昼食後は東海道線に乗って横浜で練習をするという生活でした。
最初のうちは食べていくのがやっとで、家内と二人、六畳一間のアパートで生活費を
切り詰めながら暮らしたのも懐かしい思い出です。
実はそういうサッカー生活の中で、僕は遺伝子のスイッチを入れることに気づく体験をするんです。

僕は1998年のW杯予選の途中、加茂周さんの更迭でいきなり監督に選ばれたんですね。
41歳でしたが、コーチはやっていても監督の経験はゼロでした。
だから、ものすごいプレッシャーで、成績が振るわなかった時は「こんなやつが監督で勝てるはずがない」
とバッシングも大変でした。
電話帳に載せていただいたせいで自宅は脅迫電話が鳴りやまなくて、最悪の時は家の前を24時間、
パトカーが守っていたくらいなんです。
冗談みたいな話ですが、本戦出場を賭けた最後のチャンスとなったジョホールバルの試合の前、
「もし勝てなかったら俺は日本に帰らない。海外に住むからな」と家内に電話をしていました(笑)。
ところが、そんな時にふと思ったんです。
「日本のサッカーが俺の肩にかかっている? それを俺だけで背負えるわけがない。
 もちろん、明日のイラン戦は すべてを出して命懸けで戦う。
 だが、それが駄目でも俺の責任じゃない。 俺を選んだ会長の責任だ」と(笑)。
変な話ですけど、そう思った途端、完全に開き直って怖いものがなくなったんです。
「人間は誰でも素晴らしい遺伝子を持っている。そこにスイッチを入れられるかどうかだ」
という村上先生の言葉が頭に浮かんだのもこの時です。》