ふるさとだより

父の日に因んだ感動実話

2014/06/16

昨日は父の日。人の出会いは一期一会であり、今を完全に燃焼し尽くした生き方ができたらいいと思います。
こんなすさまじい生き方をした1人の若者がいることを教えてくれた記事がありましたので、以下に紹介します。

“今から30数年前の1月21日、富山県の砺波(となみ)という町で、ガンで亡くなった井村和清さんである。
彼は医師であったが、右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断した。
しかし、その甲斐もなく、腫瘍は両肺に転移していた。そして昭和54年1月、亡くなったのである。
享年31歳であった。
彼は医師であったから、自分の病状をよく知っていた。だから彼には明日はなかった。
その彼が遺書を残している。
その遺書は『ありがとう、みなさん』と題されている。
彼は2人の子供に「心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい」と書き、
「私は今、熱がある。咳きこんで苦しい。 私はあと、いくらもお前たちのそばにいてあげることができない。
 だから、お前たちが倒れても手を貸してあげることができない。 お前たちは倒れても倒れても自分の力で立ち上がるんだ。 お前たちがいつまでも、いつまでも、幸せでありますように。 雪の降る夜に父より」
そしてまた彼は、こんな遺書も残していた。
「ようやくパパと言えるように なった娘と、まだお腹にいる二人目の子供のことを思うとき、胸が砕けそうになります。這ってでももう1度と思うのです。しかし、これは私の力では、どうすることもできない。
 肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、私の背中は一瞬凍りました。
 その転移巣はひとつやふたつではないのです。レントゲン室を出るとき、私は決心していました。
 歩けるところまで歩いていこう。
 その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。
 世の中がとても明るいのです。
 スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。走りまわる子供たちが輝いてみえる。
 犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。
 アパートへ戻ってみた妻もまた、手をあわせたいほど尊くみえました」
 「郷里へ戻ると父が毎朝、近くの神社へ私のために参拝してくれていることを知りました。
 友人のひとりは、山深い所にある泉の水を汲み、長い道程を担いできてくれました。
 『これは霊泉の水で、どんな病気にでも効くと言われている。俺はおまえに何もしてやれなくて悲しいので、
 おまえは笑うかもしれないが、これを担いできた』
 彼はそう言って、1斗(18リットル)以上もありそうな量の水を置いてゆきました。
 また私が咳きこみ、苦しそうにしていると、何も分からぬ娘までが、私の背中をさすりに来てくれるのです。
 みんなが私の荷物を担ぎあげてくれている ありがたいことだと感謝せずにはいられません。
 皆さん、どうもありがとう。
 這ってでももう1度戻って、残してきた仕事をしたいと願う気持ちは強いのですが、
 咳きこむたびに咽喉をふるわせて出てくる血液を見ていますと、もはやこれまでか、との心境にもなります。
 どうも、ありがとう。」
 日一日と悪化する病気に、もう猶予はできない。
 ここまでくれば、いつ机に向かうことができなくなるかもしれない。
 とにかく『あとがき』を書くことにした。
 「頼みがあります。 もし私が死にましたら、残るふたりの子供たちを、 どうかよろしくお願い致します。
 私が自分の命の限界を知ったとき、私にはまだ飛鳥ひとりしか子供はありませんでした。
 そのとき、私はなんとしても、もうひとり子供が 欲しいと思ったのです。
 それは希望というよりは、むしろ祈りのようなものでした。
 祈りは通じ、ふたりめの子供が妻の胎内に宿ったのです。
  妻はこれはあなたの執念の子ね、と言って笑いましたが、私はどうしても、妻と飛鳥を、母ひとり子ひとりに
 したくなかったのです。
 3人が力を合わせれば、たとえ私がいなくても、生きぬいてゆける。
 妻がもし艱難に出逢うことがあっても、子供たちふたりが心を合わせれば、細い体の妻をきっと助けてくれる。
 そう信じています」
 そして、彼の死後、「誰よりも悲しむであろう父母を慰めてやって下さい」と頼み、
 「ありがとう、みなさん。世の中で死ぬまえにこれだけ言いたいことを言い、
 それを聞いてもらえる人は滅多にいません。 その点、私は幸せです。 ありがとう、みなさん。
 人の心はいいものですね。 思いやりと思いやり。
 それらが重なりあう波間に、 私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。 幸せです。
 ありがとう、みなさん、 ほんとうに、ありがとう」
 1人の若者が生きることの大事さを教えてくれた生の記録である。
 彼は最後の最後まで、人間万歳を歌いあげたのである。
 最後の最後まで「ありがとう」をいい続けたのである。
 生きるということは1度しかない。リハーサルなんかありはしない。たった1度だけである。
 どうか、この「生きる」ことを大事に大事に生き抜いていただきたい。”

お相撲さんの合宿が始まります

2014/06/13

16時45分の社務所の様子です。例年ですと到着時間がもっと早いので、園児たちが楼門前にお出迎えをするのですが、今年は16時半を回っていたし、雨が落ちてきそうだったので、学童さんと年長児の一部だけが出迎えに行きました。園に戻ってきたら、雨が落ちてきて、おまけに雷まで歓迎に出てくる始末・・・。

明日から3日間、合宿稽古になります。日曜日はちびっこ相撲が予定されていて、最終日の16日(月)は、当園年長男児が土俵に上がり、力士と相撲をとります(午前中)。お相撲さん方、よろしくお願い致しま~す。(高砂部屋と錦戸部屋)

 

祝婚歌

2014/06/12

結婚生活を始める二人に贈る「祝婚歌」(吉野弘) 。私達にも心に留めておきたい内容なので紹介します。

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そしてなぜ胸が熱くなるのか
黙っていても 二人にはわかるのであってほしい

 

 

未満児園庭のネーミング決定

2014/06/11

6月の園だよりで、ネーミングを募集したところ、40名弱の応募がありました。園長以下全職員で協議した結果、もも組岡田さんが出してくれた「すくすくガーデン」に決まりました。先日の成田奈緒子先生の講演会終了後に、懸賞品をお渡ししました。たくさんの応募をありがとうございました。

周りの花壇がまだ工事中ですが、本日柵が完成したので、中では遊べるようになりました。晴れ間が恋しい今日この頃です。

因みに懸賞品は、期間限定品のバラの香りベースのシャンプーとリンスです。長野のラカスタ(ガーデン)で作られているもので、そのガーデンに先日行って見てきました。雑木ガーデンの中に工場(写真)があって、まるでお城のようです。日本アルプスの雪解け水が流れていて、飲用可能なとてもきれいな湧き水でした。心が癒される庭でした。すくすくガーデンも癒しも目指しています。

GT北関東会員研究会

2014/06/10

 昨日は、朝からキッズ岩城の岩城敏之さんにいらしていただき、園内研修でしたが、それに合流して、GT(ギビングツリー)北関東会員研究会を当園がホスト園として実施しました。群馬・栃木・茨城各地から園長さんや保育士さん等40名が来園してくれました。定期的に学び合っている仲間なので、気負わず話しができ、本当にこんな仲間がいてくれることに感謝です。

給食からスタートし、室内遊びの見学、岩城さんの講演で、12時~16時まで、主に環境設定や保育士のかかわりなどについてでしたので、皆さん熱心に学び合いができ、喜んで頂けたようで、ホスト園としても一安心・・といったところです。  他園の皆さんがお帰りになった後は、園内研修第二部。100分ほどの講演と質疑応答で一日が終わりました。スタッフのみなさん、お疲れ様でした。課題はまだありますが、少しずつ前進で来ていますから、これからも子ども達の為に頑張っていきましょう!