ふるさとだより

マタギ道

2011/12/15

平成のいまもマタギ道一筋に生きる工藤光治さんの生き方を読んで感動したので、紹介します。

“(マタギは)一人前になるまでは時間がかかるんですよ。
五年、十年なんてものじゃないです。
先輩たちの後を付いて歩いて、山を歩く技術を見て習う。
長い時間がかかるのですが、そうやって身についたものは一生離れません。
そうすると自然と一体となれるんです。
すると、何でも採り過ぎず、次の世代へまた次の世代にも残すような採り方ができるようになります
それは言い詰めれば自己規制であり、足るを知る生き方です。
そこには山の神様の信仰があるわけです。
白神の山にあるものはすべて山の神様からの授かり物だと。
ですから、たくさんある場所に行って、誰も見ていないからといって、それを採り尽くすようなまねをしても
神は絶対に見ていると。きっと罰が下るから、そういうことはするなと教えられてきました。
だから、白神山地の恵みはいまも尽きることなく山の宝となっています。
(略)
ハンターは獲れる時はいくらでも撃つわけです。
しかも、まずそうな肉はそのへんに捨てていったりする。
マタギは自分たちが担いで帰れるぐらいのものをいただいたら、そこでお終いなんです。決して欲張ることはない。
私たちマタギに撃たれた熊は心臓一撃で一瞬で死ぬんです。だからほとんど出血はない。
どういうことかといえば、ハンターの人たちは、もしかしたら当たるかもしれないという生半可な思いで銃を撃ちますが、
我われは熊が憎いから撃つんじゃない。生きていくために熊が必要だから撃つのです。
熊が苦しむことなく一瞬であの世にいけるよう、必ず一発命中で即死させられる確信がなければ撃たないわけです。
憎くもない動物を殺すためには、鬼のような心になって、一瞬で相手を殺す。
ですから、動物を殺すたびに鬼になる。
マタギとは「又鬼」なのだと教わりました。”