ふるさとだより

「困難に負けない言葉」

2015/11/13

日本人女性として二人目の宇宙飛行士となった山崎直子さん。
しかし、宇宙飛行士になる志を立ててから地球を飛び出すまでに、11年もの下積み時代があったそうです。
そんな山崎さんが壁に直面した時、いつも思い出していた言葉があるといいます。
山崎さんが大きな力をもらっていた言葉とはなんだったのか。以下に紹介します。

《特に4年目の2003年、スペースシャトル・コロンビア号が空中分解をする大きな事故が起きて、宇宙計画自体が不透明になってしまったんです。この事故では一緒に訓練をしていた仲間7人が亡くなったこともあって、しばらくは呆然としていました。私は長女を出産した後で育児休暇中でしたが、保育園入園も決まってそろそろ訓練に復帰しようか、
と思っていた矢先の大事故でした。
アメリカの宇宙船が飛べないということで訓練計画も大きく変わりましてね。
私は長女を日本に残して急遽ロシアに行き、さらにアメリカに移って訓練を続けたんです。
飛べるのかな、飛べないのかなと思いながら、それでも訓練だけは重ねていきました。
このように自分の力だけではどうしようもない壁に直面した時に励まされ、支えになったのは、高校の担任の小田川恭子先生が紹介してくださったある言葉だったんです。
──どういう言葉でしたか?
20世紀のアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーが1943年、小さな教会で説教した時の祈りの言葉です。
 神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
高校時代、この言葉をたまたま日記に書き残していて、大人になってそれを読み返した時、大きな力をもらいました。
いま自分ができること、変えられることが何かあるはずで、それをやっていくことで
一歩一歩道に近づいていけるのかなと。
実際、私は「おまえたちが訓練するスペースシャトルは飛ばないよ」と何度も言われてきました。
しかし、飛べるチャンスが一パーセントでもあるかもしれないと信じてやってきたんです。以下略ー》