岩手県のこの保育所の元の所長さんが、親しくさせていただいてる方で、彼が現地に行く際(現在東京在住)に、少しだけ物資を届けてもらったところ、このような写真と手紙が送られてきましたので、紹介致します。
「ー(略)ー 当町の中心市街地は、大津波に流されるとともに、その後に発生した火災によって壊滅し、一面瓦礫の山と化してしまい、筆舌に尽くしがたい状態になりました。 当保育所は、比較的高台に位置しておりますが、想定を超える大津波は、ここまで押し寄せ、地面から50センチほどまで水が上がり、保育室5室の内、3室が床上浸水し、一面泥だらけになってしまいました。
震災当日は、職員の機敏な誘導によって、子ども達をすみやかに避難させることができ、保護者の皆様へ全員無事に戻すことができたことが何よりと思っています。 その後、避難所での不自由な生活を余儀なくされた子ども達が、相当数に上ったことと保護者の方々の毎日の負担を少しでも軽減できればと、早期の保育所の再開を目指したのですが、最低限のライフラインである電気と水道の復旧のめどが立たない困難な状況の日々が続き、なかなか再開できませんでした。
3月末になった頃、やっと電気の復旧のめどが立ったことから、4月7日からの保育所の再開を決断し、冠水しなかった2室等と調理室が使用できる状態であったことから、瓦礫の片づけ、園内の清掃・消毒など再開の準備を進めていたところ4月5日に電気が復旧し、予定通り再開にこぎつけました。
再開はしたものの水道については、給水車を頼りにせざるを得ませんでしたが、4月15日に復旧し、残っていた電話についても22日に復旧して、通常の保育所の状態に戻ってきております。
この間には、全国の保育所の関係者を始め、数多くの皆様から、貴重な物資の支援をいただくなど、保育所再開に向けての物心両面にわたって力強いご支援と、心温まる励ましをいただいたことに、法人役員並びに職員一同心から感謝いたしております。
東日本大震災の復興のために、どのくらい歳月を要するものか計り知れませんが、現在、保育所に入所している子ども達が、大人になった時、夢と希望を持って新たな街づくりの中心的な役割を担う人材に育ってほしいと願っております。当保育所は、そのための人間形成の礎にならなければならないと決意しております。(以下略)」
想像を絶する状態で、こんなにも早く再開をできたことに驚くと同時に、団結力の強さと、子どもを思う愛と勇気に感動致しました。職員の集合写真の下部分には、「失ったものは大き過ぎましたが、皆様の温かい心に触れて、前を向いて進むことができました(略)」との言葉が書かれており、みんなで力を合わせることの重大さを実感しています。私たちもますます頑張ろうと思いました。