ふるさとだより

苦しみの先に本当の楽しさがある

2015/07/07

戦後、日本におけるオペラやミュージカル等の歌劇界に新風を巻き起こした声楽家坂本博士氏。80歳を超えて今もなお豊かな声量で歌声を響かせる坂本氏の興味深い記事がありましたので、紹介します。
 
《・・・・・泣く子も黙る城多(きた)又兵衛」と言われるほど師の指導は厳しかったのですが、
怒鳴り散らしたりするわけではなく、近くにいるだけでピリッとさせられる威厳のある方でした。
それにどんなに怒っても、レッスンが終わる頃には「博士君、この次もまた楽しみにしているよ」
とおっしゃるあたりは、教育者ならではの言葉の力を感じました。
ところが大学三年の時に先生が深刻な顔をされて、残念そうにこうおっしゃるんですよ。
教務課のトップとして忙しくなり、もう教えることができなくなったと。
代わりに城多先生はドイツから招聘したリア・フォン・ヘッサート先生を紹介してくださいました。
僕は最初、女の先生と聞いて戸惑ったんですよ。
でも、ヘッサート先生は僕に本当の音楽の素晴らしさと楽しさを教えてくれました。
こんなに音楽って楽しいのかと。
それまで僕は城多先生の厳しい指導のもと、音楽の「楽」が学ぶほうの「学」だけになっていたんです。
つまり「音学」ですね。こうなるといつの間にか「音が苦」になっている。
いくら音楽学校に入ったからといっても、ドレミファソラシドと音階のことばかり厳しく言われると、
誰だって音符恐怖症になってくるんですよ。ところがヘッサート先生はそういう指導をしませんでした。

代わりに、例えば目の前に山があると想像して、その山に向かって「山、山、山」と日本語で音階を歌わせるんです。そうやっていると、面白いことに音符恐怖症が影を潜め、気持ちよく声を出せるようになりました。

まるで心の扉がスッと開くように。音を楽しむ、つまり本当の意味での「音楽」になりましたね。

音学・音が苦・音楽」という三つの言葉は、何の職業でも当てはまると思いますよ。

何をするにも必ず学ぶ苦しさがある。でもその苦しみがあるからこそ、その先に本当の楽しさを見つけることができるんです。苦しいからとすぐに投げ出してしまうようでは、とても大成などできませんね。・・・・》

調子に乗って・・・

2015/07/06

P1060157午前午睡前、午睡場所毎に、手遊びや絵本の読み聞かせをすることを日課にしています。この『がいこつのやかた』は、2歳以上児で人気がある“しかけ絵本”で、たまに使っています。このページはちょっと怖めの歌なので、書いてある歌詞に適当な怖い節をつけて歌った後、♪つきが~でたでた~つきが~でたア~よ~いよい♪ とやると、子ども達が一斉に笑いだし喜ぶので、つい調子に乗って歌ってます。が、先日2歳児クラスのスタッフが保護者との面談の際、「うちの子、どこで覚えたのか、家で炭坑節を歌っているんですよ!」と言っていたそうな。・・・犯人は私です。でも、苦情ではなかったと解釈しています。あしからず!

ぼやき癖は伝染しやすい?

2015/07/03

 P1060156『悩んでいた母親が一瞬で救われた子育ての話』平光雄氏・著
前著『子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話』に続く第二弾。
小学校教師として三十二年間の経験を生かした内容で、その中に面白い一遍があったので以下紹介します。

◆親がぼやけば子もぼやく
「ぼやき癖」のついた親がいます。そして、たいていその子もぼやくものです。
たとえば、混雑したファミリーレストランでも「おっそいねー、料理まだできないの!」
「スタッフ、気が利かないねー、ちっともこっちに来ないじゃん!」
とぼやき、スタッフに当たる親の横にいる子の顔はたいてい仏頂面で、そのぼやきに同調しています。
そうした親はきっと家庭でも、テレビを見ながら、新聞を読みながら、電話をしながら
文句を垂れ流してしまっているのでしょう。
こうした「ぼやき癖」「文句癖」は、確実に子どもに「伝染」するものです。
努力不要で、安易にできることであるがゆえに、そして、ぼやいている間は、擬似的な
「元気」さや「活力」が生まれるがゆえに、伝染しやすいのです。
マスコミが流す情報には、文句がとても多く含まれています。不満を煽るような言動も随所に見られます。
「困る」「とんでもない」「ひどい」としか答えられないような、誘導的な問いかけも多く見受けられます。
これらが健全な正義感を育成しているとは思えません。
そんな状況下で過ごす子どもたちなのに、更に親が「文句」の補足をすることが日常なら、
確実に「文句」ベースの人間になってしまいます。
  このように、現代の状況は「文句癖」がつきやすいのだということを親は認識すべきですね。

「むかつく」「うざい」は、だれだってどんな事態にだって言おうと思えば言えるわけです。
見方・とらえ方の問題ですからね。
  嫉妬だって、怠け心だって「文句」に転化して、正当性を纏うことは可能ってことですね。
  その状況に親が拍車をかけてはいけないですね。「文句癖」は、子の一生を損ないますから。
  どんな恵まれた状況になったって、「文句」ばかり言っていたら、主観的には「不幸」ですもんね。

「正義の阿修羅になるな」という言葉もあります。正当性を背負って阿修羅の形相になってしまっては
いけないという戒めの言葉です。

いくら、自分の理屈では正当であっても、それが認められないことを怨み、
大上段に、感情的になって吐き出す人の心も、不幸になるということですね。
そんな子にしてはいけないでしょう。
学級では、いつも新年度に子どもたちに言ってきました。
「意見」と「文句」……この違い分かるかな?
「先生は、一年間、『意見』はいつでも聞く。『文句』は一切聞かない」
そして、つい不平不満を表出した子に聞きます。
「それ、文句?」「聞かないよ、それ」と。
繰り返し、「文句」を制していくと、だんだん文句癖は減っていくものです。放置していたら、増殖します。
親も自ら、「文句癖」に陥っていないか自己モニターしましょう。
  そして、思いあたるなら断ち切るべきです。
  親の独り言だって、子どもは驚くほどよく聞いているものです。
  子どもに「ブツブツ」を感染させないようにしましょう。

 

やっと始まりました。そして・・・

2015/07/01

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警察官舎跡地に広場をつくる計画申請を4月初めに出していましたが、やっと文化庁からの許可が下り、昨日から試掘調査が開始されました。従って、広場を作る為の工事開始は7月下旬、植樹は秋になってしまうので、完成は3~4ヵ月先になってしまうでしょうか・・・・。大幅に遅れましたがお知らせまで・・・。

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昨夕は、半年の罪穢れを祓う「大祓祭」の儀式が、茅の輪が設置された拝殿前(最後は昇殿)で行われました。

「罪」とは、窃盗とかの犯罪ではなく、「慎み(つつしみ)」が短くなったもので、例えば誰かを殴ってやりたいと思い、実際に殴らなくても、思った時点で“慎みを欠いた罪”となります。なので、祖先や自然の恩恵に感謝しつつ、謙虚な気持ちを持って生きて行こうという先人からのメッセージなのでしょう。

「穢れ」とは、「汚れ」ではなく「気枯れ」が変化したものと言われています。気とは、元気・やる気・精気などの気力全般で、人間は親しい人に悲しい出来事があると、誰でも気が枯れるものです。気が枯れることが悪いことではなく、いつまでも悲しんでいないで、悲しみを乗り越えて、日常を早く取り戻そうとした先人の知恵のようです。・・・ですから神社の手水やお祓いは、日常の“罪穢れ”を祓い清め、身も心も清浄な状態になってから、御神前に出ようという大事な準備とされているのです。

 

訪問者そして・・・

2015/06/30

P1060132P1060133昨日は、当園の“ハイハイ運動・午前昼寝”に興味を持たれている東京都の保育園々長さん(約30名)方が、雑巾がけの時間~昼食の時間まで、熱心に見学をされていきました。何に対しても興味津々で、指先の時間では、・1歳児は小さいものを持たせていたが、口に入れる子がいない。・すべての年齢で集中して取り組んでいた。・見学者がいても殆どの子の気が散らない。・筆圧がしっかりしている(異年齢クラス)。昼食の時間では、・眠り食べがない。・静かに集中して食べている。等、褒めて頂きました。又、草履や生ごみリサイクル等にも関心を持たれ、スタッフに質問していました。

見学者をお迎えすることは、ドキドキしますが、ありのままを見て頂いて、様々な評価を得ることで、保育の見直しができるので、ありがたいことです。良い評価を受ければ再確認でき、指摘されれば、再度見直しをかける・・つまり保育の質の向上につなげられるので、今後も日々の保育の積み重ねを大事にしていこうと思った次第でした。わざわざ大型バスをチャーターしてまで、いらして頂きありがとうございました。

DSCF3512そして昨日プールが設置されました。これから楽しく水遊びができるよう、本日昼食前に、安全祈願をしてもらいました。