今の時期、元気で不陽気で雨の日で園庭で遊べない事もあり、「森のお部屋」を使用して室内でも楽しく遊べる工夫をしてみました。
この日は、いちご組とばなな組と一緒に遊ぶことができました。
大きな子と一緒のリズム遊び、手をつないだり、ギュッとしてもらったりとなかなかできない大きな子との関わりができ、
外で遊べない雨の日でも活発に体を動かして、いちご組のみんなも楽しく遊ぶことができました。
0歳児担任 苅部:記
2015/11/24
2015/11/20
2015/11/19
園庭にはクリスマスツリーや電飾が飾られ、少し早めのクリスマスムードとなってきました。そこで、ばなな組の今週の指先はクリスマスツリーを作ることにしました。ツリーは折り紙を三角に折りそれを3つ作ってのりで貼り、一番上にはきらきらのほしを飾りました。
幹の部分は両面テープを剥がして貼り付け。手先も器用になってきて、剥がすのもあっという間に出来るようになってきましたよ(*^_^*)
ツリーの飾りつけはシールをぺたぺた…色を分けてみたり、つなげたりと工夫しながら、また出来たツリーを見て「みて!ミッキーだよ(^O^)」と隠れミッキーを見つけてみたり!?楽しみながら作っています。まだ途中ですので、完成をお楽しみにしてください(^O^)
2歳児担任 秋葉:記
2015/11/18
先週は、お店屋さんごっこを経験し、作って売る喜びを味わった子ども達・・・。
今週は、本物のお店屋さんで買い物することを経験できる絶好のチャンスであるバザーがあります。
昨日、今日と保護者の皆様からたくさんの品物をご協力いただき、子ども達も「何を買おうかなぁ~?」と楽しみに待っているようです。
バザーでも、年長さんは大活躍で、昨日はランチタイムの後、御近所を回ってビラ配りに出掛けました。
神社を通り抜けようとすると、菊まつり見学の方に出会い、チラシを渡すと「毎年楽しみにしているよ。ありがとう。」と喜んでいただきました。
その後も色々な人に手渡しできましたよ。(*^_^*)
ポストにも苦労しながらも一軒一軒入れてきました。
歩きながら公園の草花を観察したり、楽しい散歩にもなりました。
明後日は晴れて、バザー日和になるよう願っています。(^人^)
たくさんの皆様のご来園、お待ちしております。
ぶどう組(3・4・5歳児)担当 宮内:記
2015/11/17
2015/11/16
朝のお手伝いでは、本物の食材に触れ、匂いを嗅いだり、食材の音に耳を傾けたり…と、五感を刺激する活動を心掛けています。
ある日のお手伝い…とても立派なレンコンが入ったので、当番のグループの子ども達に持たせてみました。「レンコンってどんな形かな?」「重さはどう?」 交換でレンコンを持ちあげたり、みんなでよく見たり、大きなレンコンに興味津々です。すると、1人の年長の女の子が「レンコン濡れてるよ!」と。そこで絵本を取り出し、レンコンがどう育つのか見てみました。絵本を見て年少の男の子が「レンコン寝てるー!」と一言(*^_^*)
その後は一緒に庖丁を使ってレンコンを切ってみました。「レンコンって硬いね」「何かネバネバしてる!」と、子ども達から様々な声が聞こえてきます。1つの食材からたくさんの発見がありましたね(^O^)レンコンは煮物になり食卓へ。「誰が切ったやつかな?」「僕のだよ!」食卓もレンコンの話で持ちきり。嬉しそうに食べる姿が見られました。
栄養士 高野明代
2015/11/13
日本人女性として二人目の宇宙飛行士となった山崎直子さん。
しかし、宇宙飛行士になる志を立ててから地球を飛び出すまでに、11年もの下積み時代があったそうです。
そんな山崎さんが壁に直面した時、いつも思い出していた言葉があるといいます。
山崎さんが大きな力をもらっていた言葉とはなんだったのか。以下に紹介します。
《特に4年目の2003年、スペースシャトル・コロンビア号が空中分解をする大きな事故が起きて、宇宙計画自体が不透明になってしまったんです。この事故では一緒に訓練をしていた仲間7人が亡くなったこともあって、しばらくは呆然としていました。私は長女を出産した後で育児休暇中でしたが、保育園入園も決まってそろそろ訓練に復帰しようか、
と思っていた矢先の大事故でした。
アメリカの宇宙船が飛べないということで訓練計画も大きく変わりましてね。
私は長女を日本に残して急遽ロシアに行き、さらにアメリカに移って訓練を続けたんです。
飛べるのかな、飛べないのかなと思いながら、それでも訓練だけは重ねていきました。
このように自分の力だけではどうしようもない壁に直面した時に励まされ、支えになったのは、高校の担任の小田川恭子先生が紹介してくださったある言葉だったんです。
──どういう言葉でしたか?
20世紀のアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーが1943年、小さな教会で説教した時の祈りの言葉です。
神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
高校時代、この言葉をたまたま日記に書き残していて、大人になってそれを読み返した時、大きな力をもらいました。
いま自分ができること、変えられることが何かあるはずで、それをやっていくことで
一歩一歩道に近づいていけるのかなと。
実際、私は「おまえたちが訓練するスペースシャトルは飛ばないよ」と何度も言われてきました。
しかし、飛べるチャンスが一パーセントでもあるかもしれないと信じてやってきたんです。以下略ー》
2015/11/13
2015/11/12
知的障碍のある長男の誕生、夫の死、そしてご自身の大病。
度重なる試練に見舞われ、悲しみのどん底に沈んだ岸田ひろ実(ミライロ所属講師)さん。
そんな岸田さんを救った娘さんの言葉がグッと胸に迫ります。以下紹介します。
《ある日、娘が車椅子を押して私を街に買い物に連れ出してくれたんです。
目的の店はすぐ目の前なのに車椅子では遠回りしないと行けないというようなことがいかに多いかを、
この時の外出で初めて実感しました。
それともう一つは人の目線ですね。どこに行っても「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう……。
「車椅子で何とかなると言ったって、 何ともならないじゃない」
という感情がワッと込み上げて、一所懸命に頑張ってきたものが音を立てて崩れるようでした。
それが本当に辛くてレストランに入った時、「もう無理」と思って初めて娘の前で泣きました。
「こんな状態で生きていくなんて無理だし、 母親として、してあげられることは何もない。
お願いだから、私が死んでも許して」って。
──娘さんは何と?
「泣いているだろうな、死なないでって言われるんやろうな」
と思ってふと見たら普通にパスタを食べていました。そして
「知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。一緒に死んであげてもいいよ」と言ったんです。
続けて「でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、ママは私のことが嫌いになる?面倒くさいと思う?」と聞きました。
「思わないよ」
「それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、歩けないなら私が手伝ってあげる。
二億パーセント大丈夫だから私の言うことを信じて、もう少しだけ頑張ってみようか」と言ってくれたんです。
私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。》
2015/11/12