今日は学童さんのお楽しみ会でした。昨日から会場の準備をしてきて、シャボン玉・水鉄砲などの水遊びの他、流しそうめんやかき氷などで涼をとりながら楽しみ、暑かったけど、始終笑い声が“夢のもり”に響き渡っていました。毎年恒例の学童のこのお楽しみ会は、今年も全員出席でした。
朝9時前に学童さんの代表の数名が年長児に招待状を持って来てくれて、午前昼寝後、流しそうめんをごちそうになってきました。初めての体験、しかも学童さんの前で緊張しながらも、流れる麺をお箸で一生懸命追いかけていました。
2015/08/11
今日は学童さんのお楽しみ会でした。昨日から会場の準備をしてきて、シャボン玉・水鉄砲などの水遊びの他、流しそうめんやかき氷などで涼をとりながら楽しみ、暑かったけど、始終笑い声が“夢のもり”に響き渡っていました。毎年恒例の学童のこのお楽しみ会は、今年も全員出席でした。
朝9時前に学童さんの代表の数名が年長児に招待状を持って来てくれて、午前昼寝後、流しそうめんをごちそうになってきました。初めての体験、しかも学童さんの前で緊張しながらも、流れる麺をお箸で一生懸命追いかけていました。
2015/08/11
2015/08/10
去る7日(金)午後に実施した、<平和の鐘一振り運動>が記事になりました。
この運動を起こした鶴文乃さんが「平和を愛する子ども達を育てるのは、大人の義務です。」とおっしゃっていましたが、小さな活動でも、一歩踏み出すこと、継続することが大事・・と思っています。子ども達にどのように伝えるか、その伝え方は難しいものがありますが・・・。
2015/08/10
2015/08/07
今日の午後、八幡宮の鐘楼の前でタイトルの平和集会を行いました。つくば市在住で長崎生まれの鶴文乃さんが9年前に提唱されたもので、当園では3回目。年中・年長児と学童児の計80余名が参加しました。学童クラブの5年生女子が司会を担当。趣旨の説明と『ピカドン』の読み聞かせ、広島・長崎で亡くなった方への黙とう、筑西市“はらんきょうの会”の小学生3姉弟の『平和ってなんだろう』を朗読後、<花は咲く>を合唱。最後に、世界中が平和になり、その平和がずっと続くことを祈り、一人一人が鐘を撞きました。熱い日でしたが、境内は、始終涼しい風が吹き抜けていました。
2015/08/07
2015/08/06
今日は9時半からの指先の時間に、年長児は藍染めを体験しました。
登園の保護者であり、染色家の柿崎さんご指導のもと貴重な経験ができました!!
今回は手ぬぐいを 輪ゴム・割り箸・すだれ・木材・洗濯ばさみなど、身近にある物を使って個性あふれる作品を作りました。
材料選びは各自の好みで、しめつけの強度を少し介助してあげ、藍の液に漬けること3分・・・。
少し空気に触れさせ、色が変化するのを見て再び液の中に投入。
これを3回程くり返してから型やゴムなどをはずしてみると・・・あっと驚く模様が出ました!
最後の仕上げは水洗いをして、干すだけです。
ひとりひとり違ったすばらしい作品に、子ども達も大満足だったようです!
大宝保育園毎年恒例の藍染めを、文化祭などで発表したいと考えております。
さらに、10時半からは十数名のお母さんが集まり、楽しい雰囲気の中で藍染め体験をしました。
さすがお母さん達は材料選びや使い方にも工夫をこらして、趣ある作品を作っておりましたよ(^_^)/
涼しげなオリジナル手ぬぐい作りに参加され、ステキな作品が完成し、しばし暑さを忘れられるひとときになったようでした。
異年齢クラス:宮内ひとみ 記
2015/08/06
長崎の原爆投下で家族を失った、つくば市在住の主婦が9年前から提唱した平和集会。今年は投下日の9日が祝日の為、7日(金)14時半~15時 に大宝八幡宮蝉鐘楼の前で行います。保育園からは年中・年長児と、学童児の総勢90余名の参加になります。今回は筑西市のはらんきょうの会の加藤さんが飛び入りで朗読をして下さることになっています。お時間の取れます方は、参加自由ですので、みんなで平和の鐘を鳴らしましょう。
2015/08/06
長年、日本代表やJリーグチームの監督として日本のサッカー界をリードしてきた岡田武史(FC今治オーナー)さん。
現在は、愛媛県の今治の地から、日本サッカーの新たな礎をつくるべく日々奮闘されています。
そんな岡田さんが監督時代に体験した、遺伝子にスイッチが入った瞬間を感じたというエピソードをご紹介します。
《サッカーが注目を集めたのはJリーグができて以降ですからね。
その頃の僕は、午前中は丸の内で仕事をして、昼食後は東海道線に乗って横浜で練習をするという生活でした。
最初のうちは食べていくのがやっとで、家内と二人、六畳一間のアパートで生活費を
切り詰めながら暮らしたのも懐かしい思い出です。
実はそういうサッカー生活の中で、僕は遺伝子のスイッチを入れることに気づく体験をするんです。
僕は1998年のW杯予選の途中、加茂周さんの更迭でいきなり監督に選ばれたんですね。
41歳でしたが、コーチはやっていても監督の経験はゼロでした。
だから、ものすごいプレッシャーで、成績が振るわなかった時は「こんなやつが監督で勝てるはずがない」
とバッシングも大変でした。
電話帳に載せていただいたせいで自宅は脅迫電話が鳴りやまなくて、最悪の時は家の前を24時間、
パトカーが守っていたくらいなんです。
冗談みたいな話ですが、本戦出場を賭けた最後のチャンスとなったジョホールバルの試合の前、
「もし勝てなかったら俺は日本に帰らない。海外に住むからな」と家内に電話をしていました(笑)。
ところが、そんな時にふと思ったんです。
「日本のサッカーが俺の肩にかかっている? それを俺だけで背負えるわけがない。
もちろん、明日のイラン戦は すべてを出して命懸けで戦う。
だが、それが駄目でも俺の責任じゃない。 俺を選んだ会長の責任だ」と(笑)。
変な話ですけど、そう思った途端、完全に開き直って怖いものがなくなったんです。
「人間は誰でも素晴らしい遺伝子を持っている。そこにスイッチを入れられるかどうかだ」
という村上先生の言葉が頭に浮かんだのもこの時です。》
2015/08/05
登山家の栗城史多氏の流儀は・・・
“講演会をしていても、「この間の試験受かりました。」「夢叶えました。」と、私のところに報告に来てくれる人が多いんです。先日も41歳でようやく教員試験に受かって先生になれたという方が報告に来てくださったりしました。
その人にとっては教員試験が見えない山であり、エベレストです。そして誰しも自分の中のエベレストを登っているわけです。勿論、中には挫折してしまった人もいるでしょうが、私はそういう人たちと夢を共有して、「自分はできない」「無理だ」と思っている心の壁を取っ払いたい。見えない山に挑戦し、共に成長して行きたい。それが私が目指ことだと思います。” 『プロフェッショナル100人の流儀』より