昨今、通り魔事件や誘拐、監禁といった不可解な事件の報道をよく目にします。
そのためでしょうか。親が子供を無菌室に置こうとする傾向がより顕著になってきているようです。
ところが、過剰すぎる保護は子供の発達不全を引き起こしかねません。
「可愛い子には旅をさせよ」という諺があるように、子供の成長、発達には苦労や冒険、リスクというものは不可欠なものです。
では、そのような葛藤の中で、いかにして子育てをしていけばよいのか。
35年にわたる教師生活で数々の少年問題を解決し、「生徒指導にこの人あり」と謳われる伝説の教師・占部賢志氏(中村学園大学教授)は、以下のように述べています。
“九州の鹿児島に「泣こよっか、ひっ翔べ」という方言があります。
泣いてぐずぐずするぐらいなら、思い切って前に翔び立て、という意味です。
この翔ぼうとする意欲と意思、その発動が何より大切なのです。
この肝心の点を育てずに、探検コースや野外活動などの企画を用意しても、それは冒険心と何の関係もありません。
冒険心は大人が子供を飼い慣らすものではないのです。
むしろ、そういう大人のお節介にきっぱりと決別し、徒手空拳で荒野に挑む。
それが冒険心です。
小学生にもなれば、その芽は必ずや兆すのです。
しかし、今の時代環境では昔に比べて冒険しようにも難しい。
たしかにそれも事実です。
ですから、すべてを用意してやるのではなく、切っ掛けだけは提供してやる必要もあるでしょう。
その最良の教育の一つと筆者が考えるのは、子供に「一人旅」をさせることです。
昔、イラストレーターの真鍋博氏が、この一人旅教育を実際に行い、江湖に提唱していたのを思い出します。
真鍋氏には2人の息子がいて、小学校5年の長男が自分の姓と同じ「真鍋島」というのが
瀬戸内海にあることを地図で見つけ、一人で訪ねるのです。
広島県の福山からは船で幾つかの島を経由し、およそ2時間で目的地の真鍋島に到着。
島にはユースホステルが一軒だけと知り、そこに宿泊することにします。
結局、島には2泊3日滞在して東京の自宅に帰ってきますが、腕いっぱいに抱えた島の野菊と、親しくなった人々から贈られた寄せ書きがおみやげだったといいます。
こうした息子の体験を通して真鍋氏は、一人旅の意義を説くのです。
当時は昭和40年代、もうあの頃から、幼稚園は親の送り迎えが条件となり、小学校では通学路が決められ、
集団での登下校をしなければならない。
まるでバスの運行ダイヤのような生活を強いられていたのです。
そこには道草を食う楽しみもなければ、一人になる時間もない。
ましてやドラマやハプニングが起きることもありません。
そんな退屈な世界から脱出する道、それが真鍋氏が提唱する一人旅なのです。
子供が一人旅に踏み切るには決断が欠かせません。
まさに「泣こよっか、ひっ翔べ」です。
かくて未知の世界へ旅立てば、勇気や知恵、慎重さや機転を利かせるなど、様々な能力をフル出動しなければなりません。
そこがいいのです。
そして何より、新たな出会いと別れを体験に刻むことが出来る。
そういう機会はほかにまずありません。
勿論、今の世の中ですから、安全については細心の注意を払ったうえで、平成の一人旅に挑ませてはいかがでしょう。”
少年よ、冒険者たれ
2014/03/27